2010年1月6日水曜日

道奥国の旅 一度目と二度目の旅の回想




















●お正月
お正月を青森で過ごす。特に行きなれたわけでは ないけれど3度目の陸奥。

青函トンネルをくぐった時、青森の駅に降り立った時、端々にすっと過去の自分とすれ違うのでした。まるで、「思ひ出ぽろぽろ」の映画みたいだ、と思いながら、
今回の旅の記録の前に、少し回想、一度目のこと、二度目のこと。

●14歳・22歳みちのくの旅
 
修士論文が寺山修司の芸術表現に関することだったので、
一時期、絵を描くのがおろそかになるくらい、寺山修司の文献や映画・
舞台を貪る日々があった。彼が自作の中で実の母と重ねて青森の
愛憎を語る度、私も彼に同調するように彼の故郷への想像をたくましくした。
ついには青森という国の独特のうねりのある空気も、目をつぶれば、
思い描いて吸い込めるほどに、悪い癖だなと思いながらも、その空想を
確かなものにしてしまっていた。
青森の何気ない景色の端々が、私にはどうしも、もの言いたげに映ってしまう。
小さなきっかけが触手を延ばして、寺山修司の唸りの世界に繋がっていく。
頭の中の回路は常に開きっぱなしになっていたのだった。
全てがそこに繋がっていると思い込んで調べ続ける、バカ真面目で勤勉な
学生だったと思う、どんなきっかけも逃すまいと、全身がヒリヒリと尖っていた。

修論の研究旅行はフェリーで移動したので、3度目の今回、青函トンネルを
通るのは14年ぶりだった。1度目は中学の修学旅行の時。
今の私の半分程の人生を生きている、一人前気取りの私。
中学生の私が隣の誰かと、ガラスのトンネルを想像しながら、
これから確かめられるであろうエイの顔について話し合っていたのを、ふと、思い出す。
地底深くまで掘り下げた暗いトンネルを通過するのに、海の中をのぞけるはずもなく、
その落胆をまるごと、思い出した。
論文の研究旅行とは全く別の、ねぷた・りんごパイ・津軽三味線・初恋・明るく健康的な観光都市、みちのく青森の旅。

2度目、大学4年生の私がもっとも感動したのは、弘前公園の大きな松だった。
幾重もの年輪を重ねた松が、あちらこちらに生えている。
その生命力と歴史の深さに圧倒された。
幹の表皮が、フラクタルになっていて、落ちていた一枚を剥がして
手帳に貼り付けた。暑い季節だったので、赤い花弁もはりつけた。
多感だったので、それだけで青森の一部、
寺山修司の悲しみの一部を自分の中にも流した気分になっていた。

寺山修司記念館
http://www.terayamaworld.com/kinen/about/index.html
http://www.showanavi.jp/museum/0026/

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