2009年12月30日水曜日

年の瀬 アトリエ エスキース






























昨日は気の知れた仲間でトマト鍋忘年会でした。
友達の素敵夫婦のお宅は、おもしろいDVDだらけ。
特に、資生堂CM集の60年代がツボなのでした。
食べる、笑う、食べる、笑うで、まさに、年忘れ。

私が帰って 今日は久しぶりに家族が揃う。
さきほど、アトリエの片付けと、母屋の大掃除を終え、
本棚の本を、背の高さごとに並べました。
一週間以上も来ていなかったアトリエは大きな冷蔵庫となっていました。
セーターの上からセーターを着て、その上からカーディガンを羽織り、
それで、温めた牛乳に生姜をいれて飲む。

それから外出 おそらく私史上、一番短く髪を切りそろえ、
少し、切りすぎたのを後悔したり、ひっぱりするも、ま、いいや、
ひりひりとした外の冷気が襟足をさらっていったら
すっかりしゃんとした気持ちに。
伸びた背筋を、そのままキープで、鋭意年賀状を執筆。

明日の朝は玄関に南天を飾って
黒豆と、栗きんとんしかできていないので、
続・御節作りに励みます。
それから、お風呂にはーいろ。
それから、エスキースしよ。

みなさん、良いお年を。

写真は、アトリエからみる母屋のお茶室。

2009年12月29日火曜日

●乾いた声と彼女の祈り

イブの夜
展覧会のドキュメントを受け取りに、友人のおうちへ。
クリスマスカードと聖書を頂きました。

イブの夜に、彼女が私にかけてくれた祈りの言葉は

私が 不安という名前をつけないようにしていた何か以前の感情 
呼びようのない漠然とした予兆ともいうべき明日
昨日から続いていた道とは、違う方向へ繋がる今日と明日の交叉する場所
そこから、ぽーんと放たれて ぽっかりと浮かんでいるままの
どこへも繋がらなくなってしまいそうな 時間から切り離された私を

ふっと、現実的な場所へと引き戻してくれ、
肩を抱き寄せてくれ、
それがどういうことか 教えてくれる大きくて強くてやさしい言葉

選択の理由を誰かが知っているということが、
こんなに自分を軽くしてくれるとは思いもよらないのだった。

彼女の聖なる夜の祈りの声は、シチュエーションからイメージするような
敬虔なものというより、もっとドライで少し早口で。
それが、いくつも連なってみえる壁を前にした高揚で湿った私の心には、
本当に心地よい。

プライベートな祈りが昇華して、たくさんの人の心に届く、そういう。
私には、宗教という形をとった祈りはいらないけれど、
彼女がしてくれたようなプライベートな祈りが、多くの人を救うのは

わかる




2009年12月28日月曜日

年末らしいお知らせ

年末らしいお知らせです。
日めくりアートダイアリー2010北海道に作品が掲載されています。
北海道のアンテナショップや、SHIFTさんのHPから
お買い求めいただけますので、機会がありましたら、ぜひ。
日めくりアート公式HP http://www.himekuriart.com/


知っている名前がチラホラと。

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まだ、カレンダー私の手元には届いていないんです・・・。
一人5点までの応募だったので、はりきって、5点出したけど、
何点採用されているのだろう・・・。

2009年12月26日土曜日

去年のクリスマスから今日まで



何故でしょうか、私にとって一年を振り返るのはクリスマスです。
一年で一番好きな日はクリスマス!なんて、子供のような事まで言います。
なんせ私、11月から街がデコレーションで彩られるのを心待ちにして、
そわそわ、ワクワクする位。毎年必ずクリスマス用の飾りをひとつだけ
新しくします。選ぶ時間が至福の時です。

きっと、両親のすばらしい連携プレー(笑)で良い思い出がたくさんある
からだろうなぁ。大人になってから、身にしみているこの感謝を、まだ上
手く言葉には、できていませんが。
今日はあの人にも、この人にも、頭の中を巡る懐かしくて愛おしい人達
の幸せを祈ります。

お休みの日にゆっくりクリスマスをしました。
近代美術館の土と炎のアミューズランドの展示が私の陶芸熱と相まって
楽しかった。素敵だなぁ、と思ったのは小川待子さんの作品
www.g-now.com/artist/.../03/_machiko_ogawa.php

色々なことが綺麗で美味しくて楽しいのですっかりご機嫌だったので、
全然飲めないくせにいろんなワインを一口ずつ、飲んだりして、楽しくて 
笑いすぎて、涙(笑)。大きな窓から見えていたツリーのイルミネーション
も、ぼやけて滲んでいきました。
ベットに入ってからもさめやらない楽しさで、本当に子供のようにすぐには
寝つけず、明日も早いのにと思いながら、何回も寝返りをうち、
そのたびに、赤い花ばかりを扱う、お花屋さんの夢をみました。
寝返る度に違う夢で、でも必ず同じお花屋さんが出てきて、
違う人がそのお店をやっている、でも扱っているお花は全部、赤い色。
夢占い、しようかな。

さぁ、もう年末。
じりじりとはじめている、あちらやこちらの 宙づりの家の掃除をしよう。

写真はクリスマス飾りで影絵遊び。

2009年12月16日水曜日

00年















10年前、私は19歳で、そこからの10年間、日本に暮らす私は恵まれた状況で、小さいことに一喜一憂しながら、生きている。
2010までカウントダウン、次の10年こそ、世界が明日に希望をもてるような10年にと切に。

教育実習の最中、9.11があった。朝の学活でクラスの生徒達に何を伝えたら良いのか頭を抱えて悩んだ。最悪の事態だったニュースの映像も、その深刻さを受信できなくなっている私に、何ができるのか…でも何か話さなければ、と悩んだ末、ツインタワーの設計者が日本人であることを話した。世界の悲劇を、手を伸ばして、自分と繋げようとした、なんとも、若々しい苦肉の策。その時の私は、世界で起こっていることが自分達に関係のないことであるはずがない、と言いたかったのだけれど、思い起こせば、それは、自分に向って糾弾していた。そんなもんだから、その学活がどう収拾したのかを、さっぱり、覚えていない。

9.11の時、何よりも驚いたのは、事実や直接の体験者の発信よりもさきに、画像・映像が世界を駆け巡るということ。きっと、私はアメリカの片田舎に住む誰かと同じくらいの速さで、9.11の惨劇を視覚体験している。すべてのツールが使われ方をもってしては光も闇も持つように、mixi,や最近台頭しているtwitterのようなコミュ二ケーションツールも、たあいない一言がその言葉面だけをもって共有されていくことに、問題が生じないわけはない。

素敵な使い方をする人も、うっかり悪い方向へ向かう人も、わざと悪い使い方をする人もいる。
使われ方が安定するのも待たずに、新しいそういうものが生活の中に増えていく。
今も昔も、そうして世界は進んでいるけれど。

それらを、よりよい世界のために使っていくとして、より高次の想像力を求められているのは間違いがない。想像できているような気になっていたり、想像しにくいのに繊細な何かを見落としては危険、そんなものが溢れている。

なのにね、もし、もし、私たちや、今の子供たちの想像力というものが、ある賢者の言うように、ある一時期と比較して低下しているのだとしたら。そこにある「ひらき」は・・・。だとしたら、まず、何をすれば良い?
明日、まず、何をすれば良い? いつもどおり、具体的な毎日は一日一日進んでいるよ。
一人ひとりが、隣の人を思いやって、自分のことのように思えたら、それで、地球の裏側まで手をとって繋がっていくと、信じて。

写真は今年の初め、神社でおみくじを木に結ぶ人を描いたもの 一年のはじめはいつだって希望に満ちているよね。  「元旦の夜」oil on canvas
















追伸・私信
音沙汰はないけれど、元気でやっているに違いない、でもちょっと元気のなさそうな日記を
書いていて何かあったかなぁ、大丈夫かなぁ、と思っていた友人。テレパシーのように、
久しぶりに電話が来ました。声が聞けて安心、安心。
めんどくさいこと、いっぱいあるよね。でもぐんぐん目標に近づいているから大丈夫。
じわじわ戦法で着実に進みましょ。跳ね飛ばすわよ、めんどくさいこと!

2009年12月13日日曜日

●日々雑感 温室の匂い
















アトリエの玄関口が鉢植えで一杯だ。
扉を開けると、思いがけず、たち込めていた植物の緑の
匂いで肺いっぱいにしてしまって驚いた。
玄関は今は冬に備えて一時期の温室になっている。

雪と、雨と、大風を繰り返して、軒先の花達もしばれてはいないけれど、
生きた匂いを振りまくような季節ではとうにないから、久しぶりな感じがした。
それに加えて、私自身がしばらく、切り花にしか触れていなかったので、
それも手伝ってか、なおさらに鉢植えの生きた植物の匂いが濃く感じた。
むせかえるほど。

それにしても、暖冬。まったく、しばれた鉢はなし。
少し、さみしい。でも半月もすれば、
皮膚がヒリリとする、冬がでも、ちゃんと来るだろうから。

この温室もつかの間。

写真は夜の温室。玄関じゃないです。
でも、実際に実家の庭先には子供のころからずっと、ねむの木がある。

●良心の領界  忘れないでいること


頭が変に冴えて 妙にアチラこちらと思いが巡って、
色々なことが手につかない。
良くない時のの私か、アレやコレやが繋がる時の前触れか、
好きな画集と、今までの写真や、ドローイングを整理して
視覚の快楽に溺れて何かが見えないまま。

でもそれは久しぶりに孤独と向かい合って座っているからか、
そうだ、向き合っていなかった先週が、違うはずなのだった
と思い直して、本当はいつだって常に隣に合わせに在るんだから。

もっともっとこのもやもやのまま、大きく大きく色々なことをひっくるめて、
これを抱えたままで、忘れないでいないと。
世界の不条理が日常にのしかかっている人も明日を迎えなくてはならないし、
その人も、私と同じように明日までの時間、夢をみているはずだし。

















でも、具体的な日々も丁寧にしないといけない。
明日は朝日カルチャーで絵画教室で、午後からは打ち合わせで。

だけど、忘れないでいることと、それを「今」とひっくるめて提示することが
しなければならないこと。今と断絶していかないように、私を見守ること。
でも、まずは、忘れないこと。


写真は最近の絵 「浸す夢」 oil om paper
料理上手で文才のある素敵な女性にめでたく嫁入りした幸せな作品。 


2009年12月11日金曜日

●ピンホールから覗く世界 とメモ
















写真は、ドアスコープからみた世界.
PC内のフォトストックから。

講習会に一回参加しただけの、まったくの素人のままで
果敢にも今年、ピンホールカメラの授業にチャレンジしたのでした。
結果、生徒と共に悪戦苦闘!
材料も、制作工程もあまりにも原始的で楽しい~。
厚紙と黒い画用紙とテープのみのカメラ。
そのシンプルさが却って喜びを引き出す。

暗室での作業は実験のようで、赤色灯が慎重な仕事をしている
特別な感じをさらに煽って、終始 高ぶって
印画紙に像が立ち現われる瞬間、つい、小さい歓声があがる。

朦朧とした像が、時間をかけながらすっきりと立ちあがってくると、
目が離せなくなる。自分の理想と刷り合わせるような感覚になる。
眼科で視力を測られる時の、あの、海の上のヨットの画像、
ピンとが合っていく時の。ぼけていく時の時空の歪み。
小川信治さんの個展で映像作品をみた時のことを思い出す。

まだ、うまくつながらないけれど、一応。
メモ:迫ってくる感覚 寄っていく感覚 

●小川信治
http://www.kanshin.com/keyword/1029806
でも見たのは別。
「Chain World」という映像作品で古い絵葉書の画像が映され、
一部分にズームインして細部を映し、またズームアウトすると別の
絵葉書の画像になっていると言うもの。小川さんの作品なので、
既成の絵葉書に見紛うモノはもちろん、全て彼が制作している。

(おそらく、エッセンシャルペインティングを見に大阪に行った
時に、別の展示室でみているはず。)

2009年12月9日水曜日

写真の人たちに会う と 掘り出しものの日


今朝。朝だけぐっと冷え、それからふんわりと温かくなる。


少し前日記。
残業続きでしたので、今日は一日仕事はしません、
と決め、金曜日は念願の息抜き!
母にやめなさい、と言われるだろうと思いながら、
白い毛糸のポンチョ(お婆ちゃんっぽくってぬくいのでお気に入り)
をバフッと羽織ってでかける。

お土産を買いに寄った場所で個展写真をお願いした
写真家さんに遭遇。店内でお仕事中でした。
お皿が空だー・・・物撮りって後で食べられるんだなぁ・・・と、ぼんやり。
最近パパになったばかりの彼は、肩のあたりがなんとなく、こう、凛と。

それから近頃、写真熱の高い母と二つの写真展へ。
会うなり、その毛糸の、それが良いの?と言われる。
案の定、でも、想定していたので、ほほ、と笑う。

ひとつめは可愛いDMが届いて期待していた写真展へ。
女性らしい視点で見た日々の断章。光の多い写真はどの一時も眩しい。
 手作りカードからは作る喜びが伝わります。
立ち振る舞いから溢れる自信や強さは見習いたいなぁ。

ふたつめは札幌フォトライブラリーで開催中の札幌フォトステージへ。
Yさんは、フットワークが軽い彼らしい、幾重にも重なったような
人々の雑踏の作品。景色は白とびしてほとんどなく、人気配が画面を
占める作品は彼の姿勢そのもの、と思う。
Uさんは自分の作品をよく理解した展示。
作品はどんどん良くなっている、というか、共感します。
母の写真教室の先生も流石の実力。唸りました・・・。

それから、延々とアトリエ・自分の部屋のモノ整理。
と思ったら、母の私の成長日記や、大量の私の絵日記、
今の私の絵よりずっと良い4歳の傑作を発掘して
母を尊敬・幼い自分に感嘆、それから大笑い、の一日。

2009年12月2日水曜日

私やあなたが立つところ





ギャラリー宮下で開催中の藤田真理さんの個展を観てきました。
DMをみて、すごく楽しみにしていた展覧会です。
ここ数年そうしているように、今回も、暗闇の中でみるインスタレーション。

闇に浮かび上がってきたのは空中に整列した菊の花でした。
白い植物の茎と葉が闇の中でぼんやりと区切られるように照らし出され、
闇に眼が慣れるに従って、茎の上下に広がる、根や、菊の花が目に入ってきます。
作品自体は、白色なので、光を受けても影の部分はやわらかなグレーのグラデーションなのですが、、
壁に照らし出された、菊の影は、みごとなまでにくっきりと黒いシルエットにかたどられていて、
影の方が実体よりも強い存在感をもっているのが、不思議な気持ちになりました。


空中に浮かぶ根は、ちょうど自分のふともものあたり浮かんでいて、
まるで、自分も腰から下を土の中に埋めているような気持ちになります。
真理さんの話を聞きながら、日本のことや、今いる場所のことに想いを馳せて、
その時、会場にいた3人が、それぞれの場所に根をのばしているような、
錯覚を覚え、独り、勝手な妄想を膨らませたのでした。


藤田真理展
http://members3.jcom.home.ne.jp/gallery-miyashita/sougouannai.html

写真は写真フォルダの中にあった木の枝。