2010年1月31日日曜日

道奥国の旅④ 造花の話

一日目を思い出した。

青森県立美術館でみた奈良美智さんの作品で
きになったのは、いつもどおりのGrafさんのつくる小屋の中の作品。
暗いこちら側から、小屋に無数に空いている穴から明るい部屋の中をみる仕組み。
立体作品のまわりに、床から生えている造花。
その造花がどうしてもしっくりこないのでした。

廃校のアトリエで知り合った作家さんが、色とりどりの画用紙でつくっていた、
お花畑の方が、この作品には合いそうだなあ。
ハサミとノリでつくられた一本一本の植物達の方が
工業製品よりも、ハッピーだなぁ、と思った。















 整理しきれないまま、ホテルのまわりを散策。
昭和を再現したような、古い繁華街で、もう閉店している魅力的なお店をみつけた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
暗い外から、中の明かりを覗く。明日はここにきたいなぁ、と思う。
薄明かりの中に、造花。

 自然を模すという行為は 愛でつつ畏怖、自分の矮小さを確かめる感じとか

その人が その対象を模すという行為にどれだけ救われているのかを表している気もする。

須田悦弘さんの作品には、そういう 密やかな信仰心がみてとれる。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_b/gallery/shokudo/suda_j.html




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
可愛いケーキ屋さんを発見。クッキーを購入。
店内には古い新聞記事が。なんと昭和6年からのお店。
http://hirudoki.hungry.jp/archives/2008/05/31/000473.php

2010年1月16日土曜日

道奥国の旅③ 世界の青森 縄文スピリット
















●世界の青森へ 

吹雪の青森市から、雨降る十和田市へ。車で2時間ほど。
十和田美術館の方は気鋭の注目作家の常設展が特色。
美術館の周辺に草間弥生さんの公園を建設中。
市としての芸術価値をあげようとしていてテンションもポテンシャルも高い。
三内丸山遺跡が発掘されたことを機に、青森は世界遺産登録を目指して頑張っているのだなぁ、と思う。若者を美術館に呼ぶような企画をしていて、鑑賞中にはバスツアーの人がどどっとおしかけるシーンに出遭う。韓国語、台湾語、英語、津軽弁も負けじと聞き取れない。
年配ご夫婦に津軽弁で話しかけられる。大阪弁の人も少し。

「これ、どうやって観ればよいの?何を観るべき?」
「これは、うちらにはわからんなぁ。」
「これは、ようやったなぁ。」

とか、竹を割ったような話しぶり。そんな風に話せる人が、まっ白い美術館のギャラリーにうようよといる。札幌だとあんまり考えられない状況。
こんなおしゃれ空間に入っていっても物怖じしませんよ、私もおしゃれなので、という自信のある若者と、美術関係者、見慣れた鑑賞者しかいないのが札幌の状況だと思ってしまう、私。

それに、美術館・博物館で働いている人の人数がすごく多い。
三内丸山遺跡では、おそらくは数年前まで教鞭をとっていたであろう方が、培った知識を活かして解説をしようとうずうずしていた。雪降る外に悩むも、結局断ることができずに、小一時間外の遺跡をみてまわる。長靴をかりる。解説は、さすが、の一言。
縄文人が、私が趣味で集めているものと、同じものをコレクトしていた(実は私、魚の脊椎とか、耳石を集めているのです。)ことがわかって、すっかり縄文文化の虜になる。




















縄文熱が冷めやらぬまま、その熱にまかせて郷土資料館に足をのばす。こちらでも解説員の女の人がいつでも解説ができる準備で鑑賞者の様子を伺っているので、少し気が散ってしまう。そういえば、年末にみた北海道近代美術館の「炎×土」の展覧会のワークショップが面白かった。教材研究しようと思いつつできていなかった。そんな折、ちょうど縄文模様の作り方がわかって実り多い。

郷土資料館の建物自体は、もと銀行で重要文化財だった。結局解説を受ける。
でも今度 受けた解説はプロっぽくなくって、本人の感想を交えた等身大の解説。
あったかみがあって、こちらも悪くないなぁと思った。
帰り際、するりと受付の横を抜けていこうとした瞬間、従業員の女性二人がすかさず大きな声で
「ありがとうございました」 のユニゾン。わぁ、すごい。民間企業のような行き届いた感じ!その一生懸命さに少し、胸打たれる。
いけるかも、世界遺産登録!がんばれ、青森、と思ってしまう。

宿泊先の廊下で、椿の造花を発見。深紅。青森、造花流行ってる?と思う。
眠りに就く前に、縄文時代にタイムスリップする妄想。すぐになじむな、と確信する。

十和田現代美術館
http://www.city.towada.lg.jp/artstowada/


















三内丸山遺跡。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/

青森県立郷土館

2010年1月8日金曜日

道奥国の旅② ●3回目

 















↑閉館まで粘った青森県立美術館

●3度目 29歳 道奥国(みちのく)の旅
本州の最北端、続く道の突き当りで構える国の文化は独特の
風土・風習で、醗酵している。
太宰治も寺山修二も青森のこの土着的な空気を吸っているのだなぁ、と思う。
14歳の自分、22歳の私とすれ違いながら思うのは、
自分にも その醗酵に呼応する部分が少なからず出来上がってきているということ。
歳を重ねて捉えられるもの、味わえるものが増えているなぁ、と思うと、
ふつふつと喜びが込み上がる。

青森駅に降り立って、最初にひっかかったのは、
駅構内に飾られた造花だった。
連綿とサッシとサッシの間に吊るされた花瓶に
人工的で鮮やかな色が目を刺した。
その野暮ったい彩度がかえって新鮮に映る。
色々な思惑の中、中途半端な行為によって
代わりの何かにとって変えられませんように、
と足早に通り過ぎながら、早口で唱える。

実はこの後、旅の中で何度も造花と出遭う。
この旅の大事なことに繋がるなんて思いもよらなかった。
その最初一瞬、祈りながら通り過ぎただけ、この時は。

●伊藤隆介×岡崎京子 岡崎京子さんへのラブレター
 
今回の目的は、大学の先生が出品している、ラブラブショーを観にいくこと。
ラブラブショーのかわいいポスターは、若い人が経営するショップ、カフェ、本屋さんなど
文化発信と捉えられる場所には必ずといって良いほど
掲示されていて、お爺ちゃん、お婆ちゃんが読者であろう、
川柳や短歌の載ったフリーペーパーにもその情報は
しっかりと載っている。かなり古くて、良い感じの居酒屋さんでも、
ママが美術館をつなぐシャトルバスの事を教えてくれたりして、すごいね、と思う。

先生の作品がある、青森県立美術館をさきにみる。
青森県立美術館は、三内丸山遺跡が発掘された記念として、
青森されたという経緯があって、聞けば、黒い土壁や、
少し掘り下がった地面に遺跡を意識したのがわかる。

今まで見た美術館の中で、一番、天井が高い、と思う。
ずいぶん高い。
作品からこういう要求がでてきているからなぁ、と思う。
この展覧会は同じ空間に展示されるに至った経緯や裏づけが
わざわざ活字になったりしていないので、観ていると却って心と頭が働く。

先生と同じ空間に展示されていた、岡崎京子さんの漫画は
高校生の私には少しスパイシーすぎて
大人のものだったけれど、あるいは格好良いなあと思っていた、
隣のクラスの女の子に起こっている日常だったけれど、今なら、
色とりどりでクレイジーな一面に、救われたり何かをあきらめたりできる。
作品の痛々しさの中で、一瞬の明るい光がさした所、
それが永遠に続けば良いのに、と祈る気持ちになる、
岡崎さんは幸せに元気に暮らしているだろうか。
先生がつくったマンションのジオラマは、
いつものように驚くほどチープでキッチュ、
大画面に映されたつくりものの、世界と日常はまさに、
彼女の漫画の登場人物達が暮らしている場所だった。
もう一つの月面は、ポップで物悲しい希望の射す場所。
ここから、夢の中の地球とみんなを見下ろしている。


ラブラブショー:開催概要::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

青森県立美術館 × 十和田市現代美術館 = ラブラブショー
アーティスト × アーティスト = ラブラブショー
美術 × 写真 × 漫画 × デザイン × 映像 × 音楽 × 文学・・・= ラブラブショー
作品 × 建築 = ラブラブショー

2名の作家のコラボレーションによる、展示空間そのものをキャンバスに見立てたインスタレーションで構成される美術展。美術のみならず多彩なジャンルで活躍する作家が参加、作家と作家が出会い、展示空間と作品が出会い、そして作品と観客が出会う。その様々な「出会い」をとおして、「表現」の可能性と、新しい「価値」を生み出すことを目的とした企画です。
会場となるのは青森県立美術館と十和田市現代美術館。そう、「ケンビ」と「ゲンビ」も出会います。建築的にも活動的にも、21世紀型の新しい美術館のあり方を示す2館が奏でるアートの豊かなシンフォニーをお楽しみください
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岡崎京子さんの近況
http://www.asahi-net.or.jp/~aq4j-hsn/okazaki/index.html

伊藤隆介先生
http://www.ne.jp/asahi/r/ito/index.html

秋田県立美術館。
http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/28/

2010年1月6日水曜日

道奥国の旅 一度目と二度目の旅の回想




















●お正月
お正月を青森で過ごす。特に行きなれたわけでは ないけれど3度目の陸奥。

青函トンネルをくぐった時、青森の駅に降り立った時、端々にすっと過去の自分とすれ違うのでした。まるで、「思ひ出ぽろぽろ」の映画みたいだ、と思いながら、
今回の旅の記録の前に、少し回想、一度目のこと、二度目のこと。

●14歳・22歳みちのくの旅
 
修士論文が寺山修司の芸術表現に関することだったので、
一時期、絵を描くのがおろそかになるくらい、寺山修司の文献や映画・
舞台を貪る日々があった。彼が自作の中で実の母と重ねて青森の
愛憎を語る度、私も彼に同調するように彼の故郷への想像をたくましくした。
ついには青森という国の独特のうねりのある空気も、目をつぶれば、
思い描いて吸い込めるほどに、悪い癖だなと思いながらも、その空想を
確かなものにしてしまっていた。
青森の何気ない景色の端々が、私にはどうしも、もの言いたげに映ってしまう。
小さなきっかけが触手を延ばして、寺山修司の唸りの世界に繋がっていく。
頭の中の回路は常に開きっぱなしになっていたのだった。
全てがそこに繋がっていると思い込んで調べ続ける、バカ真面目で勤勉な
学生だったと思う、どんなきっかけも逃すまいと、全身がヒリヒリと尖っていた。

修論の研究旅行はフェリーで移動したので、3度目の今回、青函トンネルを
通るのは14年ぶりだった。1度目は中学の修学旅行の時。
今の私の半分程の人生を生きている、一人前気取りの私。
中学生の私が隣の誰かと、ガラスのトンネルを想像しながら、
これから確かめられるであろうエイの顔について話し合っていたのを、ふと、思い出す。
地底深くまで掘り下げた暗いトンネルを通過するのに、海の中をのぞけるはずもなく、
その落胆をまるごと、思い出した。
論文の研究旅行とは全く別の、ねぷた・りんごパイ・津軽三味線・初恋・明るく健康的な観光都市、みちのく青森の旅。

2度目、大学4年生の私がもっとも感動したのは、弘前公園の大きな松だった。
幾重もの年輪を重ねた松が、あちらこちらに生えている。
その生命力と歴史の深さに圧倒された。
幹の表皮が、フラクタルになっていて、落ちていた一枚を剥がして
手帳に貼り付けた。暑い季節だったので、赤い花弁もはりつけた。
多感だったので、それだけで青森の一部、
寺山修司の悲しみの一部を自分の中にも流した気分になっていた。

寺山修司記念館
http://www.terayamaworld.com/kinen/about/index.html
http://www.showanavi.jp/museum/0026/

2010年1月2日土曜日

●ローシカ●書庫303 memo

旧年中の振り返り日記、メモ。




●「書庫303」
半年振りに会うお友達とシャトールレーブというかわいらしいお店がたくさん
詰まった、隠れ家のようなマンションにに遊びに行きました。
書庫303という、雑貨のあるブックカフェで赤い実のお茶を飲む。
壁中本だらけ、という状況に胸躍ります。
それから、かわいらしい雑貨の数々と、ワイヤー作品。
そのワイヤーワーク、川上弘美さんの文庫の表紙になっていて見覚えのあるもの。
店員さんは、B.C.Sでマメ本教室をしていた雑貨作家さん、
pluie の山口詩織さん本人。
扉が二重になっていて、内扉が、内扉の小ささが、なんともいえず、ぐっとくる。
店内のつくりを味わっていると、なんとなく、Pasque iland の「電話室」と描かれた扉
とか、その雰囲気を思い出す。
●ローシカ
おなじく、マンション内にある、「ローシカ」というお店。
骨董と多肉植物のアレンジを扱うお店なのらしいけれども、商品が異常に少なく、
店員さんのレイアウトのセンスが抜群に良いので、照明の展覧会か、
フラワーアレンジの展覧会か、と勘違いしてしまい。
私、しばらくギャラリーだと思って心静かに拝見していました。
広い空間をもてあまさずに作りこんでいて、ショップらしからぬ不思議な場所になっています。

ぽつ、ぽつと、仕入れてある品物は、かなりツボで二点購入。
チョココロネの生地をまく角の形の鉄と、牛につける鈴(綺麗なドーナツ型)。
機能がわかない無知な私でも美しさを讃えてしまう実用品…
おそらく有能でたくさん働いてきたのでしょうねぇ・・・しみじみ。

ずっと前に、道端でおもむろに拾った鳥かごの頭だけのようなものを
後生大事に飾りとして使っているのだけど、
ローシカの店主さんのお話によると、
駄菓子やさんがお菓子やおまけをぶら下げるもの、らしい。

SPACE 1-15
http://www.mosslinkage.com/shop/siestalabo/




謹賀新年
















あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
家族に御節をほめられ、気分の良い私です。ほほ。

大晦日から元旦にかけての雪嵐の予報ははずれ、
しんしんと雪降る中、年越し前におでかけ、家をかけでた
その時、雪面に寝転がるように大の字になって
みごとに転びました・・・。
通話中だった携帯電話を遠くまで飛ばして、
あぁ、ごめんさい・・・今年も私は私です。
なんだか、少しめでたい気がする、初転び。
















写真は仏様の横に活けた南天の影。
神社の ぼんぼりのような光源と、テント。
甘酒をのみながら帰路。


出先で窓を開けて、除夜の鐘。

昨晩から今朝にかけての嵐もなんのそのです。
新年と私の気持ちも走り出しています。

2009年12月30日水曜日

年の瀬 アトリエ エスキース






























昨日は気の知れた仲間でトマト鍋忘年会でした。
友達の素敵夫婦のお宅は、おもしろいDVDだらけ。
特に、資生堂CM集の60年代がツボなのでした。
食べる、笑う、食べる、笑うで、まさに、年忘れ。

私が帰って 今日は久しぶりに家族が揃う。
さきほど、アトリエの片付けと、母屋の大掃除を終え、
本棚の本を、背の高さごとに並べました。
一週間以上も来ていなかったアトリエは大きな冷蔵庫となっていました。
セーターの上からセーターを着て、その上からカーディガンを羽織り、
それで、温めた牛乳に生姜をいれて飲む。

それから外出 おそらく私史上、一番短く髪を切りそろえ、
少し、切りすぎたのを後悔したり、ひっぱりするも、ま、いいや、
ひりひりとした外の冷気が襟足をさらっていったら
すっかりしゃんとした気持ちに。
伸びた背筋を、そのままキープで、鋭意年賀状を執筆。

明日の朝は玄関に南天を飾って
黒豆と、栗きんとんしかできていないので、
続・御節作りに励みます。
それから、お風呂にはーいろ。
それから、エスキースしよ。

みなさん、良いお年を。

写真は、アトリエからみる母屋のお茶室。

2009年12月29日火曜日

●乾いた声と彼女の祈り

イブの夜
展覧会のドキュメントを受け取りに、友人のおうちへ。
クリスマスカードと聖書を頂きました。

イブの夜に、彼女が私にかけてくれた祈りの言葉は

私が 不安という名前をつけないようにしていた何か以前の感情 
呼びようのない漠然とした予兆ともいうべき明日
昨日から続いていた道とは、違う方向へ繋がる今日と明日の交叉する場所
そこから、ぽーんと放たれて ぽっかりと浮かんでいるままの
どこへも繋がらなくなってしまいそうな 時間から切り離された私を

ふっと、現実的な場所へと引き戻してくれ、
肩を抱き寄せてくれ、
それがどういうことか 教えてくれる大きくて強くてやさしい言葉

選択の理由を誰かが知っているということが、
こんなに自分を軽くしてくれるとは思いもよらないのだった。

彼女の聖なる夜の祈りの声は、シチュエーションからイメージするような
敬虔なものというより、もっとドライで少し早口で。
それが、いくつも連なってみえる壁を前にした高揚で湿った私の心には、
本当に心地よい。

プライベートな祈りが昇華して、たくさんの人の心に届く、そういう。
私には、宗教という形をとった祈りはいらないけれど、
彼女がしてくれたようなプライベートな祈りが、多くの人を救うのは

わかる




2009年12月28日月曜日

年末らしいお知らせ

年末らしいお知らせです。
日めくりアートダイアリー2010北海道に作品が掲載されています。
北海道のアンテナショップや、SHIFTさんのHPから
お買い求めいただけますので、機会がありましたら、ぜひ。
日めくりアート公式HP http://www.himekuriart.com/


知っている名前がチラホラと。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

まだ、カレンダー私の手元には届いていないんです・・・。
一人5点までの応募だったので、はりきって、5点出したけど、
何点採用されているのだろう・・・。

2009年12月26日土曜日

去年のクリスマスから今日まで



何故でしょうか、私にとって一年を振り返るのはクリスマスです。
一年で一番好きな日はクリスマス!なんて、子供のような事まで言います。
なんせ私、11月から街がデコレーションで彩られるのを心待ちにして、
そわそわ、ワクワクする位。毎年必ずクリスマス用の飾りをひとつだけ
新しくします。選ぶ時間が至福の時です。

きっと、両親のすばらしい連携プレー(笑)で良い思い出がたくさんある
からだろうなぁ。大人になってから、身にしみているこの感謝を、まだ上
手く言葉には、できていませんが。
今日はあの人にも、この人にも、頭の中を巡る懐かしくて愛おしい人達
の幸せを祈ります。

お休みの日にゆっくりクリスマスをしました。
近代美術館の土と炎のアミューズランドの展示が私の陶芸熱と相まって
楽しかった。素敵だなぁ、と思ったのは小川待子さんの作品
www.g-now.com/artist/.../03/_machiko_ogawa.php

色々なことが綺麗で美味しくて楽しいのですっかりご機嫌だったので、
全然飲めないくせにいろんなワインを一口ずつ、飲んだりして、楽しくて 
笑いすぎて、涙(笑)。大きな窓から見えていたツリーのイルミネーション
も、ぼやけて滲んでいきました。
ベットに入ってからもさめやらない楽しさで、本当に子供のようにすぐには
寝つけず、明日も早いのにと思いながら、何回も寝返りをうち、
そのたびに、赤い花ばかりを扱う、お花屋さんの夢をみました。
寝返る度に違う夢で、でも必ず同じお花屋さんが出てきて、
違う人がそのお店をやっている、でも扱っているお花は全部、赤い色。
夢占い、しようかな。

さぁ、もう年末。
じりじりとはじめている、あちらやこちらの 宙づりの家の掃除をしよう。

写真はクリスマス飾りで影絵遊び。

2009年12月16日水曜日

00年















10年前、私は19歳で、そこからの10年間、日本に暮らす私は恵まれた状況で、小さいことに一喜一憂しながら、生きている。
2010までカウントダウン、次の10年こそ、世界が明日に希望をもてるような10年にと切に。

教育実習の最中、9.11があった。朝の学活でクラスの生徒達に何を伝えたら良いのか頭を抱えて悩んだ。最悪の事態だったニュースの映像も、その深刻さを受信できなくなっている私に、何ができるのか…でも何か話さなければ、と悩んだ末、ツインタワーの設計者が日本人であることを話した。世界の悲劇を、手を伸ばして、自分と繋げようとした、なんとも、若々しい苦肉の策。その時の私は、世界で起こっていることが自分達に関係のないことであるはずがない、と言いたかったのだけれど、思い起こせば、それは、自分に向って糾弾していた。そんなもんだから、その学活がどう収拾したのかを、さっぱり、覚えていない。

9.11の時、何よりも驚いたのは、事実や直接の体験者の発信よりもさきに、画像・映像が世界を駆け巡るということ。きっと、私はアメリカの片田舎に住む誰かと同じくらいの速さで、9.11の惨劇を視覚体験している。すべてのツールが使われ方をもってしては光も闇も持つように、mixi,や最近台頭しているtwitterのようなコミュ二ケーションツールも、たあいない一言がその言葉面だけをもって共有されていくことに、問題が生じないわけはない。

素敵な使い方をする人も、うっかり悪い方向へ向かう人も、わざと悪い使い方をする人もいる。
使われ方が安定するのも待たずに、新しいそういうものが生活の中に増えていく。
今も昔も、そうして世界は進んでいるけれど。

それらを、よりよい世界のために使っていくとして、より高次の想像力を求められているのは間違いがない。想像できているような気になっていたり、想像しにくいのに繊細な何かを見落としては危険、そんなものが溢れている。

なのにね、もし、もし、私たちや、今の子供たちの想像力というものが、ある賢者の言うように、ある一時期と比較して低下しているのだとしたら。そこにある「ひらき」は・・・。だとしたら、まず、何をすれば良い?
明日、まず、何をすれば良い? いつもどおり、具体的な毎日は一日一日進んでいるよ。
一人ひとりが、隣の人を思いやって、自分のことのように思えたら、それで、地球の裏側まで手をとって繋がっていくと、信じて。

写真は今年の初め、神社でおみくじを木に結ぶ人を描いたもの 一年のはじめはいつだって希望に満ちているよね。  「元旦の夜」oil on canvas
















追伸・私信
音沙汰はないけれど、元気でやっているに違いない、でもちょっと元気のなさそうな日記を
書いていて何かあったかなぁ、大丈夫かなぁ、と思っていた友人。テレパシーのように、
久しぶりに電話が来ました。声が聞けて安心、安心。
めんどくさいこと、いっぱいあるよね。でもぐんぐん目標に近づいているから大丈夫。
じわじわ戦法で着実に進みましょ。跳ね飛ばすわよ、めんどくさいこと!

2009年12月13日日曜日

●日々雑感 温室の匂い
















アトリエの玄関口が鉢植えで一杯だ。
扉を開けると、思いがけず、たち込めていた植物の緑の
匂いで肺いっぱいにしてしまって驚いた。
玄関は今は冬に備えて一時期の温室になっている。

雪と、雨と、大風を繰り返して、軒先の花達もしばれてはいないけれど、
生きた匂いを振りまくような季節ではとうにないから、久しぶりな感じがした。
それに加えて、私自身がしばらく、切り花にしか触れていなかったので、
それも手伝ってか、なおさらに鉢植えの生きた植物の匂いが濃く感じた。
むせかえるほど。

それにしても、暖冬。まったく、しばれた鉢はなし。
少し、さみしい。でも半月もすれば、
皮膚がヒリリとする、冬がでも、ちゃんと来るだろうから。

この温室もつかの間。

写真は夜の温室。玄関じゃないです。
でも、実際に実家の庭先には子供のころからずっと、ねむの木がある。

●良心の領界  忘れないでいること


頭が変に冴えて 妙にアチラこちらと思いが巡って、
色々なことが手につかない。
良くない時のの私か、アレやコレやが繋がる時の前触れか、
好きな画集と、今までの写真や、ドローイングを整理して
視覚の快楽に溺れて何かが見えないまま。

でもそれは久しぶりに孤独と向かい合って座っているからか、
そうだ、向き合っていなかった先週が、違うはずなのだった
と思い直して、本当はいつだって常に隣に合わせに在るんだから。

もっともっとこのもやもやのまま、大きく大きく色々なことをひっくるめて、
これを抱えたままで、忘れないでいないと。
世界の不条理が日常にのしかかっている人も明日を迎えなくてはならないし、
その人も、私と同じように明日までの時間、夢をみているはずだし。

















でも、具体的な日々も丁寧にしないといけない。
明日は朝日カルチャーで絵画教室で、午後からは打ち合わせで。

だけど、忘れないでいることと、それを「今」とひっくるめて提示することが
しなければならないこと。今と断絶していかないように、私を見守ること。
でも、まずは、忘れないこと。


写真は最近の絵 「浸す夢」 oil om paper
料理上手で文才のある素敵な女性にめでたく嫁入りした幸せな作品。 


2009年12月11日金曜日

●ピンホールから覗く世界 とメモ
















写真は、ドアスコープからみた世界.
PC内のフォトストックから。

講習会に一回参加しただけの、まったくの素人のままで
果敢にも今年、ピンホールカメラの授業にチャレンジしたのでした。
結果、生徒と共に悪戦苦闘!
材料も、制作工程もあまりにも原始的で楽しい~。
厚紙と黒い画用紙とテープのみのカメラ。
そのシンプルさが却って喜びを引き出す。

暗室での作業は実験のようで、赤色灯が慎重な仕事をしている
特別な感じをさらに煽って、終始 高ぶって
印画紙に像が立ち現われる瞬間、つい、小さい歓声があがる。

朦朧とした像が、時間をかけながらすっきりと立ちあがってくると、
目が離せなくなる。自分の理想と刷り合わせるような感覚になる。
眼科で視力を測られる時の、あの、海の上のヨットの画像、
ピンとが合っていく時の。ぼけていく時の時空の歪み。
小川信治さんの個展で映像作品をみた時のことを思い出す。

まだ、うまくつながらないけれど、一応。
メモ:迫ってくる感覚 寄っていく感覚 

●小川信治
http://www.kanshin.com/keyword/1029806
でも見たのは別。
「Chain World」という映像作品で古い絵葉書の画像が映され、
一部分にズームインして細部を映し、またズームアウトすると別の
絵葉書の画像になっていると言うもの。小川さんの作品なので、
既成の絵葉書に見紛うモノはもちろん、全て彼が制作している。

(おそらく、エッセンシャルペインティングを見に大阪に行った
時に、別の展示室でみているはず。)

2009年12月9日水曜日

写真の人たちに会う と 掘り出しものの日


今朝。朝だけぐっと冷え、それからふんわりと温かくなる。


少し前日記。
残業続きでしたので、今日は一日仕事はしません、
と決め、金曜日は念願の息抜き!
母にやめなさい、と言われるだろうと思いながら、
白い毛糸のポンチョ(お婆ちゃんっぽくってぬくいのでお気に入り)
をバフッと羽織ってでかける。

お土産を買いに寄った場所で個展写真をお願いした
写真家さんに遭遇。店内でお仕事中でした。
お皿が空だー・・・物撮りって後で食べられるんだなぁ・・・と、ぼんやり。
最近パパになったばかりの彼は、肩のあたりがなんとなく、こう、凛と。

それから近頃、写真熱の高い母と二つの写真展へ。
会うなり、その毛糸の、それが良いの?と言われる。
案の定、でも、想定していたので、ほほ、と笑う。

ひとつめは可愛いDMが届いて期待していた写真展へ。
女性らしい視点で見た日々の断章。光の多い写真はどの一時も眩しい。
 手作りカードからは作る喜びが伝わります。
立ち振る舞いから溢れる自信や強さは見習いたいなぁ。

ふたつめは札幌フォトライブラリーで開催中の札幌フォトステージへ。
Yさんは、フットワークが軽い彼らしい、幾重にも重なったような
人々の雑踏の作品。景色は白とびしてほとんどなく、人気配が画面を
占める作品は彼の姿勢そのもの、と思う。
Uさんは自分の作品をよく理解した展示。
作品はどんどん良くなっている、というか、共感します。
母の写真教室の先生も流石の実力。唸りました・・・。

それから、延々とアトリエ・自分の部屋のモノ整理。
と思ったら、母の私の成長日記や、大量の私の絵日記、
今の私の絵よりずっと良い4歳の傑作を発掘して
母を尊敬・幼い自分に感嘆、それから大笑い、の一日。

2009年12月2日水曜日

私やあなたが立つところ





ギャラリー宮下で開催中の藤田真理さんの個展を観てきました。
DMをみて、すごく楽しみにしていた展覧会です。
ここ数年そうしているように、今回も、暗闇の中でみるインスタレーション。

闇に浮かび上がってきたのは空中に整列した菊の花でした。
白い植物の茎と葉が闇の中でぼんやりと区切られるように照らし出され、
闇に眼が慣れるに従って、茎の上下に広がる、根や、菊の花が目に入ってきます。
作品自体は、白色なので、光を受けても影の部分はやわらかなグレーのグラデーションなのですが、、
壁に照らし出された、菊の影は、みごとなまでにくっきりと黒いシルエットにかたどられていて、
影の方が実体よりも強い存在感をもっているのが、不思議な気持ちになりました。


空中に浮かぶ根は、ちょうど自分のふともものあたり浮かんでいて、
まるで、自分も腰から下を土の中に埋めているような気持ちになります。
真理さんの話を聞きながら、日本のことや、今いる場所のことに想いを馳せて、
その時、会場にいた3人が、それぞれの場所に根をのばしているような、
錯覚を覚え、独り、勝手な妄想を膨らませたのでした。


藤田真理展
http://members3.jcom.home.ne.jp/gallery-miyashita/sougouannai.html

写真は写真フォルダの中にあった木の枝。








2009年11月28日土曜日

にらめっこ 







う-ん、うまくいかない・・・前回のグループ展に出品した作品のアップがままなりません。
すっかり困りました。
先週からパソコンにそっぽをむかれています。FFTPがご機嫌ななめ。
週末はあっという間です。また来週までお預けになってしまいそうだなぁ。
Tちゃんごめんなさい、HPで観てねって、私、言いましたのにね。
ごめんなさーい…。とりいそぎ、展示風景をここにアップします。







2009年11月23日月曜日

●一日本の日


ごきげんな休日。
朝、急に空いた時間で、引退する3年生のために本を選びをしようと、思い立ちました。

あちらこちらで用事を足した後、南平岸にあるお気に入りのブックカフェ「喫茶開化」(素敵な場所ですよ)で足慣らし…なんて、思ったら自分にピタリな本に2冊も出逢ってしまうという幸せ。
学生の頃、はやったウォルフガンク・ティルマンス風の装丁が魅力的な分厚い本。
どちらも見逃せない表題…。

「平面・空間・身体」
「多中心の思想」

ひっかかる所を手帳にメモしていたらお店の方が貸して下さいました。
中身は、もう、悲しいほどに、どんぴしゃり。
前半は私にどんぴしゃり。後半はパートナーにどんぴしゃり。
これは、もう、この冬は矢萩さんをマスターしましょう。
そうしましょうね。
すっかり日も落ちてから、生徒への本選びを開始。
各自がそれぞれ現在進行形で興味がありそうなものを選ぶ。
いずれ読んでほしい本を今プレゼントするのは、少し気が引けたので
本と共に、いずれ読んでほしい作家や評論家の名前をカードに書いてプレゼント。
いつか手にとってくれたら良いなぁという思いを込めて。
掘り下げていけば、ある時、はた、と出会うはず。


2009年10月29日木曜日

母の誕生日

ひいきにしているお花屋さんで
花束のお花を選んで、組ませてもらいました。
ちょっと時間がかかったので 待ち合わせの時間に遅れそうに。

母は来年還暦。来年は赤い服をプレゼントしようかなぁ。
感慨深い 一日。