2009年12月30日水曜日

年の瀬 アトリエ エスキース






























昨日は気の知れた仲間でトマト鍋忘年会でした。
友達の素敵夫婦のお宅は、おもしろいDVDだらけ。
特に、資生堂CM集の60年代がツボなのでした。
食べる、笑う、食べる、笑うで、まさに、年忘れ。

私が帰って 今日は久しぶりに家族が揃う。
さきほど、アトリエの片付けと、母屋の大掃除を終え、
本棚の本を、背の高さごとに並べました。
一週間以上も来ていなかったアトリエは大きな冷蔵庫となっていました。
セーターの上からセーターを着て、その上からカーディガンを羽織り、
それで、温めた牛乳に生姜をいれて飲む。

それから外出 おそらく私史上、一番短く髪を切りそろえ、
少し、切りすぎたのを後悔したり、ひっぱりするも、ま、いいや、
ひりひりとした外の冷気が襟足をさらっていったら
すっかりしゃんとした気持ちに。
伸びた背筋を、そのままキープで、鋭意年賀状を執筆。

明日の朝は玄関に南天を飾って
黒豆と、栗きんとんしかできていないので、
続・御節作りに励みます。
それから、お風呂にはーいろ。
それから、エスキースしよ。

みなさん、良いお年を。

写真は、アトリエからみる母屋のお茶室。

2009年12月29日火曜日

●乾いた声と彼女の祈り

イブの夜
展覧会のドキュメントを受け取りに、友人のおうちへ。
クリスマスカードと聖書を頂きました。

イブの夜に、彼女が私にかけてくれた祈りの言葉は

私が 不安という名前をつけないようにしていた何か以前の感情 
呼びようのない漠然とした予兆ともいうべき明日
昨日から続いていた道とは、違う方向へ繋がる今日と明日の交叉する場所
そこから、ぽーんと放たれて ぽっかりと浮かんでいるままの
どこへも繋がらなくなってしまいそうな 時間から切り離された私を

ふっと、現実的な場所へと引き戻してくれ、
肩を抱き寄せてくれ、
それがどういうことか 教えてくれる大きくて強くてやさしい言葉

選択の理由を誰かが知っているということが、
こんなに自分を軽くしてくれるとは思いもよらないのだった。

彼女の聖なる夜の祈りの声は、シチュエーションからイメージするような
敬虔なものというより、もっとドライで少し早口で。
それが、いくつも連なってみえる壁を前にした高揚で湿った私の心には、
本当に心地よい。

プライベートな祈りが昇華して、たくさんの人の心に届く、そういう。
私には、宗教という形をとった祈りはいらないけれど、
彼女がしてくれたようなプライベートな祈りが、多くの人を救うのは

わかる




2009年12月28日月曜日

年末らしいお知らせ

年末らしいお知らせです。
日めくりアートダイアリー2010北海道に作品が掲載されています。
北海道のアンテナショップや、SHIFTさんのHPから
お買い求めいただけますので、機会がありましたら、ぜひ。
日めくりアート公式HP http://www.himekuriart.com/


知っている名前がチラホラと。

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まだ、カレンダー私の手元には届いていないんです・・・。
一人5点までの応募だったので、はりきって、5点出したけど、
何点採用されているのだろう・・・。

2009年12月26日土曜日

去年のクリスマスから今日まで



何故でしょうか、私にとって一年を振り返るのはクリスマスです。
一年で一番好きな日はクリスマス!なんて、子供のような事まで言います。
なんせ私、11月から街がデコレーションで彩られるのを心待ちにして、
そわそわ、ワクワクする位。毎年必ずクリスマス用の飾りをひとつだけ
新しくします。選ぶ時間が至福の時です。

きっと、両親のすばらしい連携プレー(笑)で良い思い出がたくさんある
からだろうなぁ。大人になってから、身にしみているこの感謝を、まだ上
手く言葉には、できていませんが。
今日はあの人にも、この人にも、頭の中を巡る懐かしくて愛おしい人達
の幸せを祈ります。

お休みの日にゆっくりクリスマスをしました。
近代美術館の土と炎のアミューズランドの展示が私の陶芸熱と相まって
楽しかった。素敵だなぁ、と思ったのは小川待子さんの作品
www.g-now.com/artist/.../03/_machiko_ogawa.php

色々なことが綺麗で美味しくて楽しいのですっかりご機嫌だったので、
全然飲めないくせにいろんなワインを一口ずつ、飲んだりして、楽しくて 
笑いすぎて、涙(笑)。大きな窓から見えていたツリーのイルミネーション
も、ぼやけて滲んでいきました。
ベットに入ってからもさめやらない楽しさで、本当に子供のようにすぐには
寝つけず、明日も早いのにと思いながら、何回も寝返りをうち、
そのたびに、赤い花ばかりを扱う、お花屋さんの夢をみました。
寝返る度に違う夢で、でも必ず同じお花屋さんが出てきて、
違う人がそのお店をやっている、でも扱っているお花は全部、赤い色。
夢占い、しようかな。

さぁ、もう年末。
じりじりとはじめている、あちらやこちらの 宙づりの家の掃除をしよう。

写真はクリスマス飾りで影絵遊び。

2009年12月16日水曜日

00年















10年前、私は19歳で、そこからの10年間、日本に暮らす私は恵まれた状況で、小さいことに一喜一憂しながら、生きている。
2010までカウントダウン、次の10年こそ、世界が明日に希望をもてるような10年にと切に。

教育実習の最中、9.11があった。朝の学活でクラスの生徒達に何を伝えたら良いのか頭を抱えて悩んだ。最悪の事態だったニュースの映像も、その深刻さを受信できなくなっている私に、何ができるのか…でも何か話さなければ、と悩んだ末、ツインタワーの設計者が日本人であることを話した。世界の悲劇を、手を伸ばして、自分と繋げようとした、なんとも、若々しい苦肉の策。その時の私は、世界で起こっていることが自分達に関係のないことであるはずがない、と言いたかったのだけれど、思い起こせば、それは、自分に向って糾弾していた。そんなもんだから、その学活がどう収拾したのかを、さっぱり、覚えていない。

9.11の時、何よりも驚いたのは、事実や直接の体験者の発信よりもさきに、画像・映像が世界を駆け巡るということ。きっと、私はアメリカの片田舎に住む誰かと同じくらいの速さで、9.11の惨劇を視覚体験している。すべてのツールが使われ方をもってしては光も闇も持つように、mixi,や最近台頭しているtwitterのようなコミュ二ケーションツールも、たあいない一言がその言葉面だけをもって共有されていくことに、問題が生じないわけはない。

素敵な使い方をする人も、うっかり悪い方向へ向かう人も、わざと悪い使い方をする人もいる。
使われ方が安定するのも待たずに、新しいそういうものが生活の中に増えていく。
今も昔も、そうして世界は進んでいるけれど。

それらを、よりよい世界のために使っていくとして、より高次の想像力を求められているのは間違いがない。想像できているような気になっていたり、想像しにくいのに繊細な何かを見落としては危険、そんなものが溢れている。

なのにね、もし、もし、私たちや、今の子供たちの想像力というものが、ある賢者の言うように、ある一時期と比較して低下しているのだとしたら。そこにある「ひらき」は・・・。だとしたら、まず、何をすれば良い?
明日、まず、何をすれば良い? いつもどおり、具体的な毎日は一日一日進んでいるよ。
一人ひとりが、隣の人を思いやって、自分のことのように思えたら、それで、地球の裏側まで手をとって繋がっていくと、信じて。

写真は今年の初め、神社でおみくじを木に結ぶ人を描いたもの 一年のはじめはいつだって希望に満ちているよね。  「元旦の夜」oil on canvas
















追伸・私信
音沙汰はないけれど、元気でやっているに違いない、でもちょっと元気のなさそうな日記を
書いていて何かあったかなぁ、大丈夫かなぁ、と思っていた友人。テレパシーのように、
久しぶりに電話が来ました。声が聞けて安心、安心。
めんどくさいこと、いっぱいあるよね。でもぐんぐん目標に近づいているから大丈夫。
じわじわ戦法で着実に進みましょ。跳ね飛ばすわよ、めんどくさいこと!

2009年12月13日日曜日

●日々雑感 温室の匂い
















アトリエの玄関口が鉢植えで一杯だ。
扉を開けると、思いがけず、たち込めていた植物の緑の
匂いで肺いっぱいにしてしまって驚いた。
玄関は今は冬に備えて一時期の温室になっている。

雪と、雨と、大風を繰り返して、軒先の花達もしばれてはいないけれど、
生きた匂いを振りまくような季節ではとうにないから、久しぶりな感じがした。
それに加えて、私自身がしばらく、切り花にしか触れていなかったので、
それも手伝ってか、なおさらに鉢植えの生きた植物の匂いが濃く感じた。
むせかえるほど。

それにしても、暖冬。まったく、しばれた鉢はなし。
少し、さみしい。でも半月もすれば、
皮膚がヒリリとする、冬がでも、ちゃんと来るだろうから。

この温室もつかの間。

写真は夜の温室。玄関じゃないです。
でも、実際に実家の庭先には子供のころからずっと、ねむの木がある。

●良心の領界  忘れないでいること


頭が変に冴えて 妙にアチラこちらと思いが巡って、
色々なことが手につかない。
良くない時のの私か、アレやコレやが繋がる時の前触れか、
好きな画集と、今までの写真や、ドローイングを整理して
視覚の快楽に溺れて何かが見えないまま。

でもそれは久しぶりに孤独と向かい合って座っているからか、
そうだ、向き合っていなかった先週が、違うはずなのだった
と思い直して、本当はいつだって常に隣に合わせに在るんだから。

もっともっとこのもやもやのまま、大きく大きく色々なことをひっくるめて、
これを抱えたままで、忘れないでいないと。
世界の不条理が日常にのしかかっている人も明日を迎えなくてはならないし、
その人も、私と同じように明日までの時間、夢をみているはずだし。

















でも、具体的な日々も丁寧にしないといけない。
明日は朝日カルチャーで絵画教室で、午後からは打ち合わせで。

だけど、忘れないでいることと、それを「今」とひっくるめて提示することが
しなければならないこと。今と断絶していかないように、私を見守ること。
でも、まずは、忘れないこと。


写真は最近の絵 「浸す夢」 oil om paper
料理上手で文才のある素敵な女性にめでたく嫁入りした幸せな作品。 


2009年12月11日金曜日

●ピンホールから覗く世界 とメモ
















写真は、ドアスコープからみた世界.
PC内のフォトストックから。

講習会に一回参加しただけの、まったくの素人のままで
果敢にも今年、ピンホールカメラの授業にチャレンジしたのでした。
結果、生徒と共に悪戦苦闘!
材料も、制作工程もあまりにも原始的で楽しい~。
厚紙と黒い画用紙とテープのみのカメラ。
そのシンプルさが却って喜びを引き出す。

暗室での作業は実験のようで、赤色灯が慎重な仕事をしている
特別な感じをさらに煽って、終始 高ぶって
印画紙に像が立ち現われる瞬間、つい、小さい歓声があがる。

朦朧とした像が、時間をかけながらすっきりと立ちあがってくると、
目が離せなくなる。自分の理想と刷り合わせるような感覚になる。
眼科で視力を測られる時の、あの、海の上のヨットの画像、
ピンとが合っていく時の。ぼけていく時の時空の歪み。
小川信治さんの個展で映像作品をみた時のことを思い出す。

まだ、うまくつながらないけれど、一応。
メモ:迫ってくる感覚 寄っていく感覚 

●小川信治
http://www.kanshin.com/keyword/1029806
でも見たのは別。
「Chain World」という映像作品で古い絵葉書の画像が映され、
一部分にズームインして細部を映し、またズームアウトすると別の
絵葉書の画像になっていると言うもの。小川さんの作品なので、
既成の絵葉書に見紛うモノはもちろん、全て彼が制作している。

(おそらく、エッセンシャルペインティングを見に大阪に行った
時に、別の展示室でみているはず。)

2009年12月9日水曜日

写真の人たちに会う と 掘り出しものの日


今朝。朝だけぐっと冷え、それからふんわりと温かくなる。


少し前日記。
残業続きでしたので、今日は一日仕事はしません、
と決め、金曜日は念願の息抜き!
母にやめなさい、と言われるだろうと思いながら、
白い毛糸のポンチョ(お婆ちゃんっぽくってぬくいのでお気に入り)
をバフッと羽織ってでかける。

お土産を買いに寄った場所で個展写真をお願いした
写真家さんに遭遇。店内でお仕事中でした。
お皿が空だー・・・物撮りって後で食べられるんだなぁ・・・と、ぼんやり。
最近パパになったばかりの彼は、肩のあたりがなんとなく、こう、凛と。

それから近頃、写真熱の高い母と二つの写真展へ。
会うなり、その毛糸の、それが良いの?と言われる。
案の定、でも、想定していたので、ほほ、と笑う。

ひとつめは可愛いDMが届いて期待していた写真展へ。
女性らしい視点で見た日々の断章。光の多い写真はどの一時も眩しい。
 手作りカードからは作る喜びが伝わります。
立ち振る舞いから溢れる自信や強さは見習いたいなぁ。

ふたつめは札幌フォトライブラリーで開催中の札幌フォトステージへ。
Yさんは、フットワークが軽い彼らしい、幾重にも重なったような
人々の雑踏の作品。景色は白とびしてほとんどなく、人気配が画面を
占める作品は彼の姿勢そのもの、と思う。
Uさんは自分の作品をよく理解した展示。
作品はどんどん良くなっている、というか、共感します。
母の写真教室の先生も流石の実力。唸りました・・・。

それから、延々とアトリエ・自分の部屋のモノ整理。
と思ったら、母の私の成長日記や、大量の私の絵日記、
今の私の絵よりずっと良い4歳の傑作を発掘して
母を尊敬・幼い自分に感嘆、それから大笑い、の一日。

2009年12月2日水曜日

私やあなたが立つところ





ギャラリー宮下で開催中の藤田真理さんの個展を観てきました。
DMをみて、すごく楽しみにしていた展覧会です。
ここ数年そうしているように、今回も、暗闇の中でみるインスタレーション。

闇に浮かび上がってきたのは空中に整列した菊の花でした。
白い植物の茎と葉が闇の中でぼんやりと区切られるように照らし出され、
闇に眼が慣れるに従って、茎の上下に広がる、根や、菊の花が目に入ってきます。
作品自体は、白色なので、光を受けても影の部分はやわらかなグレーのグラデーションなのですが、、
壁に照らし出された、菊の影は、みごとなまでにくっきりと黒いシルエットにかたどられていて、
影の方が実体よりも強い存在感をもっているのが、不思議な気持ちになりました。


空中に浮かぶ根は、ちょうど自分のふともものあたり浮かんでいて、
まるで、自分も腰から下を土の中に埋めているような気持ちになります。
真理さんの話を聞きながら、日本のことや、今いる場所のことに想いを馳せて、
その時、会場にいた3人が、それぞれの場所に根をのばしているような、
錯覚を覚え、独り、勝手な妄想を膨らませたのでした。


藤田真理展
http://members3.jcom.home.ne.jp/gallery-miyashita/sougouannai.html

写真は写真フォルダの中にあった木の枝。








2009年11月28日土曜日

にらめっこ 







う-ん、うまくいかない・・・前回のグループ展に出品した作品のアップがままなりません。
すっかり困りました。
先週からパソコンにそっぽをむかれています。FFTPがご機嫌ななめ。
週末はあっという間です。また来週までお預けになってしまいそうだなぁ。
Tちゃんごめんなさい、HPで観てねって、私、言いましたのにね。
ごめんなさーい…。とりいそぎ、展示風景をここにアップします。







2009年11月23日月曜日

●一日本の日


ごきげんな休日。
朝、急に空いた時間で、引退する3年生のために本を選びをしようと、思い立ちました。

あちらこちらで用事を足した後、南平岸にあるお気に入りのブックカフェ「喫茶開化」(素敵な場所ですよ)で足慣らし…なんて、思ったら自分にピタリな本に2冊も出逢ってしまうという幸せ。
学生の頃、はやったウォルフガンク・ティルマンス風の装丁が魅力的な分厚い本。
どちらも見逃せない表題…。

「平面・空間・身体」
「多中心の思想」

ひっかかる所を手帳にメモしていたらお店の方が貸して下さいました。
中身は、もう、悲しいほどに、どんぴしゃり。
前半は私にどんぴしゃり。後半はパートナーにどんぴしゃり。
これは、もう、この冬は矢萩さんをマスターしましょう。
そうしましょうね。
すっかり日も落ちてから、生徒への本選びを開始。
各自がそれぞれ現在進行形で興味がありそうなものを選ぶ。
いずれ読んでほしい本を今プレゼントするのは、少し気が引けたので
本と共に、いずれ読んでほしい作家や評論家の名前をカードに書いてプレゼント。
いつか手にとってくれたら良いなぁという思いを込めて。
掘り下げていけば、ある時、はた、と出会うはず。


2009年10月29日木曜日

母の誕生日

ひいきにしているお花屋さんで
花束のお花を選んで、組ませてもらいました。
ちょっと時間がかかったので 待ち合わせの時間に遅れそうに。

母は来年還暦。来年は赤い服をプレゼントしようかなぁ。
感慨深い 一日。

2009年10月25日日曜日

花束を抱えた人

花束で顔が隠れた青いカーディガンの女性を描いたことがありました。
6年前だったか。院生展の時だったか、七月展の時だったか。
先日また、そのシーンの既視感、デジャブ。

思い出すように、地下鉄の女性を描きました。

蓋をしていた感覚を久しぶりに開きました。

2009年8月29日土曜日

8月最後




お盆にならないと、自分の血縁に思いを馳せられない乏しい私。
親に小林家のお墓のお手入れをしてくれているおじさんの話を聞きました。
8月に誕生日を迎えて。あれと、これは、手放さずに頑張るぞ、みたいな決心をして。
ふと、去年より、お弁当作りが早くなったなぁ、と思いました。
自分でわかる自分の成長って、少ないから嬉しい。

29の時には既に子を二人抱え小林家で嫁を務めていた母を思うと、母が子育てをしながら、
親戚の中で苦労していた時間を、 私は何に費やして、大切にしてきたのか、と振り返り。
それから、久しぶりに会う、3人の子の母を勤める良妻賢母なニセコの友人にあって、
自分の母の苦労を重ねてみました。 友人も、私の母も、笑顔だなぁ。


2009年7月20日月曜日

ヘレン体験

2日間の学校祭が終りました。
生徒が「気付く」瞬間に出遭って、目頭熱くなりました。
自分でも、人でも、誰かが何かに「気付く」(?気付くはなんかしっくりこないかも、
理解する?…のほうが良いか)瞬間に出遭う時、私は必ず思い出すのは、
幼稚園の本棚にあった、ヘレンケラーの絵本です。

「ウォーターという言葉」と「水」が一致して、 驚きと衝撃に声をあげながら
彼女が世界と繋がっていく、感覚。
予感めいた渦の最中、あの点とこの点がすんでの所まで近寄ってきている。
あとは、磁石が吸い付くように、ハタ、と「気付いて」落雷のように音をたてて、
急速に…理解。 快感。
まさに落雷に打たれている状態の子供を目の当たりにして。羨望。
鮮烈なやつを私にも!
羨ましい…高校生のヒリヒリのアンテナ!
私も感度をあげて擦り傷だらけになりたいなぁ。
良いなぁ。

2009年7月11日土曜日

雨雲がとおり過ぎた

ふと、力の入っていた肩に夏の風があたりました。

連日の雨がふと、止んで、今日は陽射しがきつい。眠たい頭で考えます。
私の誕生花のムクゲが あちらこちらの近所の塀で咲いています。
黒い日傘の女性が通り過ぎます。


夏休みのレポート課題をつくるため、近美に予習に行ってきました。
チベットの仏像は、驚くほど色っぽい。

チベットの仏像は日本の仏像よりも、異形だけれど、人間的に見えました。

儀式や呪文で煩悩を打ち消し、それでもダメな時にはもう、力づくで打ち倒す。 悩む姿が、そこにあり、生のパワーがそこにあり。


いや、日本の仏像の手のね、人差し指と、親指がつくかつかないか…の際どさ こそが妖艶なんだ!と通りすがりの うんちくおじ様は怒るかもしれませんが…



でも、圧倒的なパワーがチベットの仏像にはある。 人間がなった物の怪のような仏像。動物が混血しているような形。 密教ならではの視覚伝達力にうなる私でした。

なんか、悪かったお腹の調子がよくなってきた。 カレーたくさん食べたいなぁ。

2009年6月22日月曜日

私信 

一ヶ月と二週間、本当にありがとうございました。
自分の足りないこと、至らなさを痛感する日々でした。
限界を知らずに、突っ走るのは幼い証拠と思います。
支えてくださった事に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

こんなことを言うと笑われてしまうかもしれませんが、会期が進むにつれ会場ではどんどん有機的な力が生まれているような気がしていました。 二回、三回と足を運んでくれる人が作品や会場の説明をしているのを目にして、 作家が主役じゃない会場がとても清清しく感じました 何かに触発されて誰かが自分の大切な体験を話しはじめる瞬間。
それを許す場の空気の寛大さはオーナーの人柄にも似ています。
色々な人と出遭うこの場所に 少しでも長くいたいと、毎日思いました。

これから私は、あの、廊下の絵を描いた時に見た、
体を突き上げるような高揚感と絶望感と一筋の光を描かねばと思っています。
体力をつけなければ、と思います。
ジョギングでもはじめなければいけないかもしれません。
クロージングパーティーで、聞いた「楽しいことって、疲れるんだ」ということ。
本当にそうです。あの絵を描いた時捻り出した時の時間が止まるような押し潰されるような感覚。
それでも、描きあがった絵は、私を救ってくれました。
絵に救われる体験は、久しぶりでした。

今回、私はいままで、名も無き人だったと知ることができました。

今、やっと、小林麻美にならなくては、と思っています。
まず、私は私にならねば。 意志をもって。

美しく正しく生きる人達が生きにくいなんておかしい。
でも、それは世の中がおかしいわけじゃなくて、
気付いた人から、隣の人の息吹を発芽を促していけばよい。
例えば、人と人の信頼関係が案外すんなりとそれを気付かせるのかもしれません。

最後に

H氏が、名も無き状態の私にも文章を寄せてくれたこと。

その大きさと温かさを背負って、一粒の種を蒔くことから

次をはじめようと思います。

この日記を これからの私の人生の決意として。

http://612621.blogspot.com/

2009年6月19日金曜日

観ること 驚くこと

photo by Aya Miura















絵画教室、職場、展覧会場を三角形に移動する日々が続きます。
学校に向かう時、すごく久しぶりに学校に行く気がするんです。たった2日ぶりなのに。
展覧会場に向かう時、すごく久しぶりに展覧会場に向かう気がするのです。1日空けただけでも。
今、通常の私の二倍位頑張って生きています。 疾走しています。人生を。

ふむ、でもこれが、あと一週間続くと、へたってしまう。絶対に。
それでも。明日と、明後日で、こんな日々が終わってしまうなんていやだなぁ。
だって私は見たのですよ、平衡感覚を失うような景色を。
人生の留めておきたい一瞬を。認識できない、驚きを。

その景色に出遭った時、私は世界に一人でした。
私がみた景色は太古のようでもあるし、明日のようでもありました。
はるかかなたのように思える近所の景色。
見知らぬ誰かが鏡のように私を映してくれました。

絵画教室の生徒さん(人生の大先輩!)とお話します。
ここに「在る」ということを観察しましょう、と。
描くスキルはあるものだけれど、何より、ここにモチーフが「在る」ことに寄り添いたいです、と。
描くことは独立した作業じゃないと話します。

「観て、発見して、知る」その「驚き」を吐露する形として「描く」があります。
人によっては、「話す」だし、「つくる」だし、「謳う」とか。

みんなが、それぞれ、違う方法で、私達がここに「在る」理由を考えています。
けして解決できる問いではないけれど、
ともかく与えられた穴を私は掘っています。



612621 閉館時間の来訪者

photo by Fumie Ando

















8時過ぎ。制作中の安藤さんと、窓の外から会場をみていたら
通りすがりの学生さんが、「ここは何のスペースなんですか?」と声をかけてくれました。
ここはどんな場所なんだろう、とか、何をしているんだろう、とか
たくさんの人が?マークを頭の上につけて通り過ぎていくのが、
会場の中からはよーく伺えるのですが(笑)
美術関係者以外の方で、興味をもってくれるのって嬉しい!
すっかり楽しくなって安藤さんと二人でたくさん解説しました。
ヨサコイの会議の後です、という北大の学生さんは経済と、獣医の勉強をしているとのこと。


心が開けた二人に展覧会を楽しんでもらえて、励まされました。
ちなみに、ヨサコイは「一体感」がキーワードなんですって。
自分が周囲に溶け出す瞬間って、生きている感じがするものね。
共感しますね。

安藤さんからのレビューもよめます→612621blog http://612621.blogspot.com/2009/06/blog-post_18.html



612621 言葉をつむぐひと















photo by Msayoshi Masago





展覧会を一緒にやっているミウラアヤさんは、今回のことを通して関ることができた人。
会場にある彼女の作品は「読む」というプライベートな行為を外に向かって
発信してしまうような、 不思議な体験をする作品です。


写真は会場で執筆中の彼女。 「没頭する」作業とは無防備なものです。
描くにしろ、書くにしろ、安藤さんのワークショップの子供達も、
この会場では、みんなが無防備な姿をさらけていきます。                 
絵は声無き詩、詩は有声の絵。恩師がよく言っていた言葉です。               
詩人のように、画家のように先陣をきって、人生を踊り唱える勇気。
「他」に、もしくは「多」に異を唱えることなく、たんたんと自分の仕事をする。
無防備でいるには強さが必要だなぁ、と思います。
それから、周囲や、人や、社会を信じることも。

2009年6月17日水曜日

612621 中間地点の折り返し 

















更新が滞っているので、まとめてアップします。
展覧会は中間地点の折り返しを迎えました。
月曜、火曜と会場に足を運べず、歯がゆい想いをしています。

この一ヶ月、何度か描くべき瞬間に出遭っています。
徹夜明けの早朝。大好きなアーティスト夫婦が選んだお気に入りの音楽の

聞きなれなさが、心地よいです。
好きな人達が視界の片隅にいて、私が命を削っている一生懸命な時間。

世界は露出オーバー気味でした。

私はなんでこの瞬間描きたいのか。残す必要があるのか。
何に駆り立てられて、この時間を最も大事な時間にしているのでしょう。
生きていくのはけっこう大変。
自分をさらけ出すのは本当に恥ずかしいし、痛々しい。
なんでこんなことをするのかなぁ。

今回の展覧会で、一枚、本当に自分のためだけに描けた絵があります。
自分でしたことが描かされたと思える瞬間は 与えられたギフト と思います。

本当に自分のためだけに描いた絵が、どこかにいる誰かと共感できたら、と
思います。まだ遭ったことのない、言葉も通じない人と。


612621blog
http://612621.blogspot.com/

612621 言葉で伝えること






























心配すぎてお腹がよじれた、初日のレクチャーを無事(?)終えました。
北大の新しい工学部の施設で開催したので、健築学科の学生さんが多いこと
想定していたのですが、以外と大人の人が多く、最大級の緊張を体験。

喉元すぎると、良い経験をしたと言えますが 自分が話したことを思い出すと青ざめます。
面白かったとおっしゃって下さる方に 胸をなでおろしつつ…でも、反省点は山ほど。
正直に話すしかない、と腹をくくったら、正直が行き過ぎた感が。 早く年齢相応に大人にならねば…。


参加作家メンバーの2大柱の先輩方は、ある作品の説明の際に感極まり。
それは二人の作家が、自分の内的な事と如何に真摯に向き合っているのかを教えてくれて、
私までもらい泣きしそうになりましたが、ここは、我慢…
良いメンバーで展覧会をしているんだなぁ、とつくづく思う瞬間でした。


実は、ワタクシはレクチャーの小一時間前に、会場に足を運んでくれた母に、
いきなり聞き役をお願いして通しで二回、練習しました。
教員なんだから、人前で話すこと位できるだろ、と思われるのですが、
自分のことを話すのって、どうして、こんなに しどろっこもどろっこに…。
レクチャー会場に来てくれていた卒業生の教え子も、きっと、授業中の私との違いに
おどろいただろうなぁ…

成長する機会を与えてくださった、菊池さん、協力してくださった学生さん、
きてくれたみな様、母(上様)、本当にありがとうございます。


612621 blog http://612621.blogspot.com/

2009年6月3日水曜日

月のご機嫌















月の三分の一の痛み抱えて、女は強くなると思う。
ちょうど10日ほど、私の動きは遅くなります。
頭は回転してても、身体が鈍く後から反応。
心と体が離されたり追いついたりして距離を変えています。


それでも子供は私の周りをいつものスピードで動き回り、
私だけ遅く再生したラジオのようです。低い声。遅い足取り。

身体が重くなると、ここぞとばかりに
精神の方が、私の大部分を占めてやる、と凌駕する。
膨らんだ心は私をのっとり、さらに外まで広がって、
自分の領分を広げていきます。
先にある、手の届きそうなあの木のふもとまで。


足取り遅く、でもじわじわと、沁みていくような、解けていくような感覚。
この一週間は特に。

展覧会までラストスパート。

不自由な身体のぶん、どこまでも先にいってしまう思考で
見渡す世界を感知できたら、と願います。

隣の安藤さんは、猛然と壁にペンキを塗っています。

写真は12個連続で双子だった卵パックのラストの卵。



2009年5月29日金曜日

先住者さんとご対面


展覧会場に鳩が住んでいます。
一番小柄な安藤さんがはしごを最大限に伸ばして
吹き抜けの会場を飛び回るようにペンキと格闘しているので、
作業している時に彼女が換気扇の中にある鳥の巣を発見していた様子。
家主はすずめ?と思っていたのですが、
次のお休みの日に制作している時、ついに換気扇の家主であろう鳩さんと遭遇。
近づいてもぜんぜん、怖がりません。しばし、休憩。共に巣の材料探し。











今日は明日になるまでは作業します。
頑張ります。















2009年5月24日日曜日

ここからみえること 









眼前に仕切りがある。
その狭間をすり抜けていく自由な視線のこと。

すり抜けられないことで
自分の身体の存在を感じること。

視線というの精神のような。
それから。
空洞化した身体ののような
この しきり としか言いようのないもの。
ただ、いつも大事なものとの間にある。



2009年5月20日水曜日

612621 展覧会の告知とお知らせ



前、魅力的な古い家の壁に絵を描いています、とお話していました。
そこで6月半ばに展覧会をします。グループ展です。
敬愛する作家さん達と4人。鋭意準備中!

詳細はブログをご覧下さい。

2009年5月17日日曜日

制作現場と子供達






















さくさくと壁に絵を描いています。

昨日、現美術部の生徒、それから卒業した教え子が制作現場に遊びにきました。

描かれた絵は、これからどうなるの?なくなるかもしれない建物で何かをしようと思うのは何故?

シンプルな疑問に、わかっているつもりでいた私も唸る。
「儀式?」「なくなるからこそ・・・」「マーキング!」という鋭い意見も。

あの場所のどこに価値を見出して、どう活かすか、または、どう残すか、みたいなことは、
マーキング(笑)という言葉で言い表せるかも?

そうすると、あそこは、たくさんの人のマーキング?足跡?だらけです。
取捨選択の中で残されたもの。

明快に答えるためには、しっかり言語化されていないと難しい~。








2009年5月13日水曜日

壁に絵を描いています










週末、古い家を改装したフリースペースの壁に絵を描いています。

会場は知り合いの建築家さんが事務所にしていた東区の古い家。

文房具屋さん、喫茶店、住居と、さまざまな時間を経た「おうち」は
大きな窓や、看板の日焼けた跡が、過ぎた役割を物語っています。

写真は郵便受けからみた外の世界。


蔦の家 と 一輪挿し













後日日記。
朝日カルチャーセンターの絵画教室へ。
以前、ちえりあの絵画教室を受講して下さった方と再会!
あらーっ、とっても上手くなってる…うなりました。
継続こそ力ですね。
カルチャーセンターの下にあるお花屋さんで、母の日にクレマチスの鉢を。
でも私、去年はクレマチスアルバ。一昨年はテッセンをあげていて、
実家の庭がクレマチスの仲間だらけに。うぇぇん、ごめんなさい…
テッセンが良い、と言った母の顔が私に刷り込まれているらしぃ…。
去年のお花は蕾をたくさんつけ、固いままに蔦はどんどんのびていました。
それから一目ぼれした一輪挿し。
駒のように下が不安定なところが可愛らしくて、もう、涙。
母より私が喜んでる?だいじょぶ?



















2009年5月10日日曜日

瑞々しい日々(後半)


 制作三昧のはじまりは、2点の作品に、お手製の箱額を作るところから。
箱額をつくるのは実は8年ぶり。経験があるのに悪戦苦闘…ひぇ~っ。
写真は、とっても優しいパートナーの設計図、悔しいながら正しいって美しい。
美しい設計図にはなすすべもなく従うのみです・・・ 明日の朝までに梱包、発送せねば~。
 発送を済ませた後は、発寒川の近くで、大学の後輩の女性とランチ。
おいしいベーグルサンドをご馳走になりました。
彼女は何度か絵に描かせてもらったことがある女性で 私の好きな世界を引き出してくれる稀有な人。 日常の方が彼女の存在感に絡めとられて違う景色へ変貌します。
彼女と名残惜しく別れ、今度は展覧会の会場へ。会場に滞在しつつ制作を進めています。
参加作家は4人。尊敬すべき、そして、ナチュラルでとても愛しい方々です。







2009年5月9日土曜日

瑞々しい日々 (前半)


 ゴールデンウィークは社会人になった教え子とお酒を飲んで皮切りでした。時折、自分よりも大人びた表情で人生を語る彼らの言葉を聞きながら、 私、教師としては半人前所か、クオーター(?)位なのに、こんな教師冥利に尽きる幸せ、ホントに恵まれているよなぁ、とひとしきり。ほんとうにありがとう。
   
 
 さて、実は、6月半ばから展覧会を予定しているので、GW後半は制作三昧。
その前に、と慌てて行ったのは、秘湯・薬師温泉。ニセコ比羅夫と車を走らせ、 ほそーい林道、農道を抜け、砂利道の谷を登りまた下ると・・・眼下には懐かしい木造の小学校のような建物。
温泉は炭酸水の源泉。少し雪の残る川のほとりにはちらほらとエゾエンゴサク。想い入れのある大好きなお花の一つです。 それから、白に蛍光イエローを混ぜたような鮮烈な発色のフキノトウが宿を囲うようにたくさん生い茂っていました。黒い建物に良く映えます。 宿の近くの池にはたくさんの蛙の卵が産みつけられていました。 季節の変わり目で、少し喘息ぎみだったので、瑞々しい香りをできるかぎり 肺いっぱいに苦しいくらい吸い込んで、あれ、なんかこんな寓話なかったけ… ふと。(前後を忘れてしまったけれど)子蛙の期待に応えてほっぺを膨らましすぎたお母さんカエルのお話?

 そこから少し山側。林に入り小さな橋を渡ると温い沼のような露天風呂がありました。
足場も脱衣所もなく、ただ、そこに「在り」ます。冗談抜きで狐とご一緒してしまいそう! これを体験すると、この源泉が太古から何も変わらず、ずっと沸き続けていたもの なんだと実感します。不思議です。変わるもの、変わらないもの。 温泉って人間が木で囲って箱にする前から、ずっと温泉ですものね。レジャーとか、秘湯とか、そんあ感覚が遠のく瞬間です。
 お宿は非常に心配りの暖かい良いお宿でした。私はフキノトウの天婦羅のほろ苦い美味しさにとりつかれてしまいました。
最初はその色の美しさに心震えた私ですが、今となってはみつけただけで、おなかが鳴るのね。健康だなぁ。
夜は、お昼に道すがらに予約した陶芸工房の体験コースのため、エスキースを練りに練り・・・。
実は、美術部で陶芸に励む生徒との出会ったので、私も良い機会と陶芸修行中。自然と熱が入ります。
ここぞとばかりに、気合いをいれて、頑張りました。粘土を練るって原始的。
一番最後まで、教室で粘って、計3点、仕上げました。できあがりを生徒に自慢します。
それから、オオバナのエンレイソウを虫の視点から描く、ちょっと面白い生徒がいるので、あしもとの花を撮影。
でも、これ、下向きに咲いているので、お目当ての花じゃないかも…。
(瑞々しい日々、後半へ続く・・・)
(続けるのよっ)

2009年4月12日日曜日

ハルカラ日記

部屋の片付けをしていて、小学校3年生の頃の私の日記をみつけた時の衝撃は今も忘れられません。

「なっちゃんが日記をつけていると聞いたので私もつけることにします。三日坊主にならないように、がんばります。」

で、なんと…次のページが白紙!

三日坊主ならず、一日少女。宣言だけとは…一瞬でこれまでの自分の生き方を問いました、とほほ、です。ちなみに、なっちゃんとは、「ありがとう」をとても上手にお友達に言える私の憧れの女の子でした。彼女のように「ありがとう」を恥ずかしがらないで、言えるようになりたい!のが当時の私の気持ちでした。きっと日記を書きたかったわけじゃなかったのでしょうね、
20年前のあさみさん。とかいって、
そんな私が、またも日記をつけます。毎日続けるのは無理なんです。書き留めておきたい、心が揺さぶられるような出来事があった時や自分へのメモをしたい時に。少々遠くに離れた友人達への近況報告として。

果たして、次のページに綴られるのはいつ?