一ヶ月と二週間、本当にありがとうございました。
自分の足りないこと、至らなさを痛感する日々でした。
限界を知らずに、突っ走るのは幼い証拠と思います。
支えてくださった事に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
こんなことを言うと笑われてしまうかもしれませんが、会期が進むにつれ会場ではどんどん有機的な力が生まれているような気がしていました。 二回、三回と足を運んでくれる人が作品や会場の説明をしているのを目にして、 作家が主役じゃない会場がとても清清しく感じました。 何かに触発されて誰かが自分の大切な体験を話しはじめる瞬間。
それを許す場の空気の寛大さはオーナーの人柄にも似ています。
色々な人と出遭うこの場所に 少しでも長くいたいと、毎日思いました。
これから私は、あの、廊下の絵を描いた時に見た、
体を突き上げるような高揚感と絶望感と一筋の光を描かねばと思っています。
体力をつけなければ、と思います。
ジョギングでもはじめなければいけないかもしれません。
クロージングパーティーで、聞いた「楽しいことって、疲れるんだ」ということ。
本当にそうです。あの絵を描いた時捻り出した時の時間が止まるような押し潰されるような感覚。
それでも、描きあがった絵は、私を救ってくれました。
絵に救われる体験は、久しぶりでした。
今回、私はいままで、名も無き人だったと知ることができました。
今、やっと、小林麻美にならなくては、と思っています。
まず、私は私にならねば。 意志をもって。
美しく正しく生きる人達が生きにくいなんておかしい。
でも、それは世の中がおかしいわけじゃなくて、
気付いた人から、隣の人の息吹を発芽を促していけばよい。
例えば、人と人の信頼関係が案外すんなりとそれを気付かせるのかもしれません。
最後に
H氏が、名も無き状態の私にも文章を寄せてくれたこと。
その大きさと温かさを背負って、一粒の種を蒔くことから
次をはじめようと思います。
この日記を これからの私の人生の決意として。
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