2009年12月16日水曜日

00年















10年前、私は19歳で、そこからの10年間、日本に暮らす私は恵まれた状況で、小さいことに一喜一憂しながら、生きている。
2010までカウントダウン、次の10年こそ、世界が明日に希望をもてるような10年にと切に。

教育実習の最中、9.11があった。朝の学活でクラスの生徒達に何を伝えたら良いのか頭を抱えて悩んだ。最悪の事態だったニュースの映像も、その深刻さを受信できなくなっている私に、何ができるのか…でも何か話さなければ、と悩んだ末、ツインタワーの設計者が日本人であることを話した。世界の悲劇を、手を伸ばして、自分と繋げようとした、なんとも、若々しい苦肉の策。その時の私は、世界で起こっていることが自分達に関係のないことであるはずがない、と言いたかったのだけれど、思い起こせば、それは、自分に向って糾弾していた。そんなもんだから、その学活がどう収拾したのかを、さっぱり、覚えていない。

9.11の時、何よりも驚いたのは、事実や直接の体験者の発信よりもさきに、画像・映像が世界を駆け巡るということ。きっと、私はアメリカの片田舎に住む誰かと同じくらいの速さで、9.11の惨劇を視覚体験している。すべてのツールが使われ方をもってしては光も闇も持つように、mixi,や最近台頭しているtwitterのようなコミュ二ケーションツールも、たあいない一言がその言葉面だけをもって共有されていくことに、問題が生じないわけはない。

素敵な使い方をする人も、うっかり悪い方向へ向かう人も、わざと悪い使い方をする人もいる。
使われ方が安定するのも待たずに、新しいそういうものが生活の中に増えていく。
今も昔も、そうして世界は進んでいるけれど。

それらを、よりよい世界のために使っていくとして、より高次の想像力を求められているのは間違いがない。想像できているような気になっていたり、想像しにくいのに繊細な何かを見落としては危険、そんなものが溢れている。

なのにね、もし、もし、私たちや、今の子供たちの想像力というものが、ある賢者の言うように、ある一時期と比較して低下しているのだとしたら。そこにある「ひらき」は・・・。だとしたら、まず、何をすれば良い?
明日、まず、何をすれば良い? いつもどおり、具体的な毎日は一日一日進んでいるよ。
一人ひとりが、隣の人を思いやって、自分のことのように思えたら、それで、地球の裏側まで手をとって繋がっていくと、信じて。

写真は今年の初め、神社でおみくじを木に結ぶ人を描いたもの 一年のはじめはいつだって希望に満ちているよね。  「元旦の夜」oil on canvas
















追伸・私信
音沙汰はないけれど、元気でやっているに違いない、でもちょっと元気のなさそうな日記を
書いていて何かあったかなぁ、大丈夫かなぁ、と思っていた友人。テレパシーのように、
久しぶりに電話が来ました。声が聞けて安心、安心。
めんどくさいこと、いっぱいあるよね。でもぐんぐん目標に近づいているから大丈夫。
じわじわ戦法で着実に進みましょ。跳ね飛ばすわよ、めんどくさいこと!

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