2009年7月20日月曜日
ヘレン体験
生徒が「気付く」瞬間に出遭って、目頭熱くなりました。
自分でも、人でも、誰かが何かに「気付く」(?気付くはなんかしっくりこないかも、
理解する?…のほうが良いか)瞬間に出遭う時、私は必ず思い出すのは、
幼稚園の本棚にあった、ヘレンケラーの絵本です。
「ウォーターという言葉」と「水」が一致して、 驚きと衝撃に声をあげながら
彼女が世界と繋がっていく、感覚。
予感めいた渦の最中、あの点とこの点がすんでの所まで近寄ってきている。
あとは、磁石が吸い付くように、ハタ、と「気付いて」落雷のように音をたてて、
急速に…理解。 快感。
まさに落雷に打たれている状態の子供を目の当たりにして。羨望。
鮮烈なやつを私にも!
羨ましい…高校生のヒリヒリのアンテナ!
私も感度をあげて擦り傷だらけになりたいなぁ。
良いなぁ。
2009年7月11日土曜日
雨雲がとおり過ぎた
連日の雨がふと、止んで、今日は陽射しがきつい。眠たい頭で考えます。
私の誕生花のムクゲが あちらこちらの近所の塀で咲いています。
黒い日傘の女性が通り過ぎます。
夏休みのレポート課題をつくるため、近美に予習に行ってきました。
チベットの仏像は、驚くほど色っぽい。
チベットの仏像は日本の仏像よりも、異形だけれど、人間的に見えました。
儀式や呪文で煩悩を打ち消し、それでもダメな時にはもう、力づくで打ち倒す。 悩む姿が、そこにあり、生のパワーがそこにあり。
いや、日本の仏像の手のね、人差し指と、親指がつくかつかないか…の際どさ こそが妖艶なんだ!と通りすがりの うんちくおじ様は怒るかもしれませんが…
でも、圧倒的なパワーがチベットの仏像にはある。 人間がなった物の怪のような仏像。動物が混血しているような形。 密教ならではの視覚伝達力にうなる私でした。
なんか、悪かったお腹の調子がよくなってきた。 カレーたくさん食べたいなぁ。
2009年6月22日月曜日
私信
一ヶ月と二週間、本当にありがとうございました。
自分の足りないこと、至らなさを痛感する日々でした。
限界を知らずに、突っ走るのは幼い証拠と思います。
支えてくださった事に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
こんなことを言うと笑われてしまうかもしれませんが、会期が進むにつれ会場ではどんどん有機的な力が生まれているような気がしていました。 二回、三回と足を運んでくれる人が作品や会場の説明をしているのを目にして、 作家が主役じゃない会場がとても清清しく感じました。 何かに触発されて誰かが自分の大切な体験を話しはじめる瞬間。
それを許す場の空気の寛大さはオーナーの人柄にも似ています。
色々な人と出遭うこの場所に 少しでも長くいたいと、毎日思いました。
これから私は、あの、廊下の絵を描いた時に見た、
体を突き上げるような高揚感と絶望感と一筋の光を描かねばと思っています。
体力をつけなければ、と思います。
ジョギングでもはじめなければいけないかもしれません。
クロージングパーティーで、聞いた「楽しいことって、疲れるんだ」ということ。
本当にそうです。あの絵を描いた時捻り出した時の時間が止まるような押し潰されるような感覚。
それでも、描きあがった絵は、私を救ってくれました。
絵に救われる体験は、久しぶりでした。
今回、私はいままで、名も無き人だったと知ることができました。
今、やっと、小林麻美にならなくては、と思っています。
まず、私は私にならねば。 意志をもって。
美しく正しく生きる人達が生きにくいなんておかしい。
でも、それは世の中がおかしいわけじゃなくて、
気付いた人から、隣の人の息吹を発芽を促していけばよい。
例えば、人と人の信頼関係が案外すんなりとそれを気付かせるのかもしれません。
最後に
H氏が、名も無き状態の私にも文章を寄せてくれたこと。
その大きさと温かさを背負って、一粒の種を蒔くことから
次をはじめようと思います。
この日記を これからの私の人生の決意として。
2009年6月19日金曜日
観ること 驚くこと

学校に向かう時、すごく久しぶりに学校に行く気がするんです。たった2日ぶりなのに。
展覧会場に向かう時、すごく久しぶりに展覧会場に向かう気がするのです。1日空けただけでも。
今、通常の私の二倍位頑張って生きています。 疾走しています。人生を。
ふむ、でもこれが、あと一週間続くと、へたってしまう。絶対に。
それでも。明日と、明後日で、こんな日々が終わってしまうなんていやだなぁ。
だって私は見たのですよ、平衡感覚を失うような景色を。
人生の留めておきたい一瞬を。認識できない、驚きを。
その景色に出遭った時、私は世界に一人でした。
私がみた景色は太古のようでもあるし、明日のようでもありました。
はるかかなたのように思える近所の景色。
見知らぬ誰かが鏡のように私を映してくれました。
絵画教室の生徒さん(人生の大先輩!)とお話します。
ここに「在る」ということを観察しましょう、と。
描くスキルはあるものだけれど、何より、ここにモチーフが「在る」ことに寄り添いたいです、と。
描くことは独立した作業じゃないと話します。
「観て、発見して、知る」その「驚き」を吐露する形として「描く」があります。
人によっては、「話す」だし、「つくる」だし、「謳う」とか。
みんなが、それぞれ、違う方法で、私達がここに「在る」理由を考えています。
612621 閉館時間の来訪者

8時過ぎ。制作中の安藤さんと、窓の外から会場をみていたら
通りすがりの学生さんが、「ここは何のスペースなんですか?」と声をかけてくれました。
ここはどんな場所なんだろう、とか、何をしているんだろう、とか
たくさんの人が?マークを頭の上につけて通り過ぎていくのが、
会場の中からはよーく伺えるのですが(笑)
美術関係者以外の方で、興味をもってくれるのって嬉しい!
すっかり楽しくなって安藤さんと二人でたくさん解説しました。
ヨサコイの会議の後です、という北大の学生さんは経済と、獣医の勉強をしているとのこと。
心が開けた二人に展覧会を楽しんでもらえて、励まされました。
ちなみに、ヨサコイは「一体感」がキーワードなんですって。
自分が周囲に溶け出す瞬間って、生きている感じがするものね。
共感しますね。
安藤さんからのレビューもよめます→612621blog http://612621.blogspot.com/2009/06/blog-post_18.html
612621 言葉をつむぐひと

会場にある彼女の作品は「読む」というプライベートな行為を外に向かって
発信してしまうような、 不思議な体験をする作品です。
写真は会場で執筆中の彼女。 「没頭する」作業とは無防備なものです。
描くにしろ、書くにしろ、安藤さんのワークショップの子供達も、
この会場では、みんなが無防備な姿をさらけていきます。
絵は声無き詩、詩は有声の絵。恩師がよく言っていた言葉です。
詩人のように、画家のように先陣をきって、人生を踊り唱える勇気。
「他」に、もしくは「多」に異を唱えることなく、たんたんと自分の仕事をする。
無防備でいるには強さが必要だなぁ、と思います。
それから、周囲や、人や、社会を信じることも。
2009年6月17日水曜日
612621 中間地点の折り返し
展覧会は中間地点の折り返しを迎えました。
月曜、火曜と会場に足を運べず、歯がゆい想いをしています。
徹夜明けの早朝。大好きなアーティスト夫婦が選んだお気に入りの音楽の
好きな人達が視界の片隅にいて、私が命を削っている一生懸命な時間。
何に駆り立てられて、この時間を最も大事な時間にしているのでしょう。
生きていくのはけっこう大変。
自分をさらけ出すのは本当に恥ずかしいし、痛々しい。
なんでこんなことをするのかなぁ。
今回の展覧会で、一枚、本当に自分のためだけに描けた絵があります。
自分でしたことが描かされたと思える瞬間は 与えられたギフト と思います。
本当に自分のためだけに描いた絵が、どこかにいる誰かと共感できたら、と
思います。まだ遭ったことのない、言葉も通じない人と。
612621blog http://612621.blogspot.com/
612621 言葉で伝えること


心配すぎてお腹がよじれた、初日のレクチャーを無事(?)終えました。
北大の新しい工学部の施設で開催したので、健築学科の学生さんが多いこと
を想定していたのですが、以外と大人の人が多く、最大級の緊張を体験。
喉元すぎると、良い経験をしたと言えますが 自分が話したことを思い出すと青ざめます。
面白かったとおっしゃって下さる方に 胸をなでおろしつつ…でも、反省点は山ほど。
正直に話すしかない、と腹をくくったら、正直が行き過ぎた感が。 早く年齢相応に大人にならねば…。
参加作家メンバーの2大柱の先輩方は、ある作品の説明の際に感極まり。
それは二人の作家が、自分の内的な事と如何に真摯に向き合っているのかを教えてくれて、
私までもらい泣きしそうになりましたが、ここは、我慢…
良いメンバーで展覧会をしているんだなぁ、とつくづく思う瞬間でした。
実は、ワタクシはレクチャーの小一時間前に、会場に足を運んでくれた母に、
いきなり聞き役をお願いして通しで二回、練習しました。
教員なんだから、人前で話すこと位できるだろ、と思われるのですが、
自分のことを話すのって、どうして、こんなに しどろっこもどろっこに…。
レクチャー会場に来てくれていた卒業生の教え子も、きっと、授業中の私との違いに
おどろいただろうなぁ…
成長する機会を与えてくださった、菊池さん、協力してくださった学生さん、
きてくれたみな様、母(上様)、本当にありがとうございます。
612621 blog http://612621.blogspot.com/
2009年6月3日水曜日
月のご機嫌

ちょうど10日ほど、私の動きは遅くなります。
頭は回転してても、身体が鈍く後から反応。
心と体が離されたり追いついたりして距離を変えています。
それでも子供は私の周りをいつものスピードで動き回り、
私だけ遅く再生したラジオのようです。低い声。遅い足取り。
身体が重くなると、ここぞとばかりに
精神の方が、私の大部分を占めてやる、と凌駕する。
膨らんだ心は私をのっとり、さらに外まで広がって、
自分の領分を広げていきます。
先にある、手の届きそうなあの木のふもとまで。
足取り遅く、でもじわじわと、沁みていくような、解けていくような感覚。
この一週間は特に。
展覧会までラストスパート。
不自由な身体のぶん、どこまでも先にいってしまう思考で
見渡す世界を感知できたら、と願います。
隣の安藤さんは、猛然と壁にペンキを塗っています。
2009年5月29日金曜日
先住者さんとご対面
2009年5月24日日曜日
ここからみえること
2009年5月20日水曜日
612621 展覧会の告知とお知らせ
2009年5月17日日曜日
制作現場と子供達
2009年5月13日水曜日
壁に絵を描いています
蔦の家 と 一輪挿し


以前、ちえりあの絵画教室を受講して下さった方と再会!
でも私、去年はクレマチスアルバ。一昨年はテッセンをあげていて、

2009年5月10日日曜日
瑞々しい日々(後半)

箱額をつくるのは実は8年ぶり。経験があるのに悪戦苦闘…ひぇ~っ。
写真は、とっても優しいパートナーの設計図、悔しいながら正しいって美しい。
美しい設計図にはなすすべもなく従うのみです・・・ 明日の朝までに梱包、発送せねば~。
発送を済ませた後は、発寒川の近くで、大学の後輩の女性とランチ。
おいしいベーグルサンドをご馳走になりました。
彼女は何度か絵に描かせてもらったことがある女性で 私の好きな世界を引き出してくれる稀有な人。 日常の方が彼女の存在感に絡めとられて違う景色へ変貌します。
彼女と名残惜しく別れ、今度は展覧会の会場へ。会場に滞在しつつ制作を進めています。
参加作家は4人。尊敬すべき、そして、ナチュラルでとても愛しい方々です。
2009年5月9日土曜日
瑞々しい日々 (前半)
さて、実は、6月半ばから展覧会を予定しているので、GW後半は制作三昧。
その前に、と慌てて行ったのは、秘湯・薬師温泉。ニセコ比羅夫と車を走らせ、 ほそーい林道、農道を抜け、砂利道の谷を登りまた下ると・・・眼下には懐かしい木造の小学校のような建物。
温泉は炭酸水の源泉。少し雪の残る川のほとりにはちらほらとエゾエンゴサク。想い入れのある大好きなお花の一つです。 それから、白に蛍光イエローを混ぜたような鮮烈な発色のフキノトウが宿を囲うようにたくさん生い茂っていました。黒い建物に良く映えます。 宿の近くの池にはたくさんの蛙の卵が産みつけられていました。 季節の変わり目で、少し喘息ぎみだったので、瑞々しい香りをできるかぎり 肺いっぱいに苦しいくらい吸い込んで、あれ、なんかこんな寓話なかったけ… ふと。(前後を忘れてしまったけれど)子蛙の期待に応えてほっぺを膨らましすぎたお母さんカエルのお話?
足場も脱衣所もなく、ただ、そこに「在り」ます。冗談抜きで狐とご一緒してしまいそう! これを体験すると、この源泉が太古から何も変わらず、ずっと沸き続けていたもの なんだと実感します。不思議です。変わるもの、変わらないもの。 温泉って人間が木で囲って箱にする前から、ずっと温泉ですものね。レジャーとか、秘湯とか、そんあ感覚が遠のく瞬間です。
ここぞとばかりに、気合いをいれて、頑張りました。粘土を練るって原始的。
2009年4月12日日曜日
ハルカラ日記
「なっちゃんが日記をつけていると聞いたので私もつけることにします。三日坊主にならないように、がんばります。」
で、なんと…次のページが白紙!
三日坊主ならず、一日少女。宣言だけとは…一瞬でこれまでの自分の生き方を問いました、とほほ、です。ちなみに、なっちゃんとは、「ありがとう」をとても上手にお友達に言える私の憧れの女の子でした。彼女のように「ありがとう」を恥ずかしがらないで、言えるようになりたい!のが当時の私の気持ちでした。きっと日記を書きたかったわけじゃなかったのでしょうね、20年前のあさみさん。とかいって、
そんな私が、またも日記をつけます。毎日続けるのは無理なんです。書き留めておきたい、心が揺さぶられるような出来事があった時や自分へのメモをしたい時に。少々遠くに離れた友人達への近況報告として。
果たして、次のページに綴られるのはいつ?






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