2009年6月22日月曜日

私信 

一ヶ月と二週間、本当にありがとうございました。
自分の足りないこと、至らなさを痛感する日々でした。
限界を知らずに、突っ走るのは幼い証拠と思います。
支えてくださった事に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

こんなことを言うと笑われてしまうかもしれませんが、会期が進むにつれ会場ではどんどん有機的な力が生まれているような気がしていました。 二回、三回と足を運んでくれる人が作品や会場の説明をしているのを目にして、 作家が主役じゃない会場がとても清清しく感じました 何かに触発されて誰かが自分の大切な体験を話しはじめる瞬間。
それを許す場の空気の寛大さはオーナーの人柄にも似ています。
色々な人と出遭うこの場所に 少しでも長くいたいと、毎日思いました。

これから私は、あの、廊下の絵を描いた時に見た、
体を突き上げるような高揚感と絶望感と一筋の光を描かねばと思っています。
体力をつけなければ、と思います。
ジョギングでもはじめなければいけないかもしれません。
クロージングパーティーで、聞いた「楽しいことって、疲れるんだ」ということ。
本当にそうです。あの絵を描いた時捻り出した時の時間が止まるような押し潰されるような感覚。
それでも、描きあがった絵は、私を救ってくれました。
絵に救われる体験は、久しぶりでした。

今回、私はいままで、名も無き人だったと知ることができました。

今、やっと、小林麻美にならなくては、と思っています。
まず、私は私にならねば。 意志をもって。

美しく正しく生きる人達が生きにくいなんておかしい。
でも、それは世の中がおかしいわけじゃなくて、
気付いた人から、隣の人の息吹を発芽を促していけばよい。
例えば、人と人の信頼関係が案外すんなりとそれを気付かせるのかもしれません。

最後に

H氏が、名も無き状態の私にも文章を寄せてくれたこと。

その大きさと温かさを背負って、一粒の種を蒔くことから

次をはじめようと思います。

この日記を これからの私の人生の決意として。

http://612621.blogspot.com/

2009年6月19日金曜日

観ること 驚くこと

photo by Aya Miura















絵画教室、職場、展覧会場を三角形に移動する日々が続きます。
学校に向かう時、すごく久しぶりに学校に行く気がするんです。たった2日ぶりなのに。
展覧会場に向かう時、すごく久しぶりに展覧会場に向かう気がするのです。1日空けただけでも。
今、通常の私の二倍位頑張って生きています。 疾走しています。人生を。

ふむ、でもこれが、あと一週間続くと、へたってしまう。絶対に。
それでも。明日と、明後日で、こんな日々が終わってしまうなんていやだなぁ。
だって私は見たのですよ、平衡感覚を失うような景色を。
人生の留めておきたい一瞬を。認識できない、驚きを。

その景色に出遭った時、私は世界に一人でした。
私がみた景色は太古のようでもあるし、明日のようでもありました。
はるかかなたのように思える近所の景色。
見知らぬ誰かが鏡のように私を映してくれました。

絵画教室の生徒さん(人生の大先輩!)とお話します。
ここに「在る」ということを観察しましょう、と。
描くスキルはあるものだけれど、何より、ここにモチーフが「在る」ことに寄り添いたいです、と。
描くことは独立した作業じゃないと話します。

「観て、発見して、知る」その「驚き」を吐露する形として「描く」があります。
人によっては、「話す」だし、「つくる」だし、「謳う」とか。

みんなが、それぞれ、違う方法で、私達がここに「在る」理由を考えています。
けして解決できる問いではないけれど、
ともかく与えられた穴を私は掘っています。



612621 閉館時間の来訪者

photo by Fumie Ando

















8時過ぎ。制作中の安藤さんと、窓の外から会場をみていたら
通りすがりの学生さんが、「ここは何のスペースなんですか?」と声をかけてくれました。
ここはどんな場所なんだろう、とか、何をしているんだろう、とか
たくさんの人が?マークを頭の上につけて通り過ぎていくのが、
会場の中からはよーく伺えるのですが(笑)
美術関係者以外の方で、興味をもってくれるのって嬉しい!
すっかり楽しくなって安藤さんと二人でたくさん解説しました。
ヨサコイの会議の後です、という北大の学生さんは経済と、獣医の勉強をしているとのこと。


心が開けた二人に展覧会を楽しんでもらえて、励まされました。
ちなみに、ヨサコイは「一体感」がキーワードなんですって。
自分が周囲に溶け出す瞬間って、生きている感じがするものね。
共感しますね。

安藤さんからのレビューもよめます→612621blog http://612621.blogspot.com/2009/06/blog-post_18.html



612621 言葉をつむぐひと















photo by Msayoshi Masago





展覧会を一緒にやっているミウラアヤさんは、今回のことを通して関ることができた人。
会場にある彼女の作品は「読む」というプライベートな行為を外に向かって
発信してしまうような、 不思議な体験をする作品です。


写真は会場で執筆中の彼女。 「没頭する」作業とは無防備なものです。
描くにしろ、書くにしろ、安藤さんのワークショップの子供達も、
この会場では、みんなが無防備な姿をさらけていきます。                 
絵は声無き詩、詩は有声の絵。恩師がよく言っていた言葉です。               
詩人のように、画家のように先陣をきって、人生を踊り唱える勇気。
「他」に、もしくは「多」に異を唱えることなく、たんたんと自分の仕事をする。
無防備でいるには強さが必要だなぁ、と思います。
それから、周囲や、人や、社会を信じることも。

2009年6月17日水曜日

612621 中間地点の折り返し 

















更新が滞っているので、まとめてアップします。
展覧会は中間地点の折り返しを迎えました。
月曜、火曜と会場に足を運べず、歯がゆい想いをしています。

この一ヶ月、何度か描くべき瞬間に出遭っています。
徹夜明けの早朝。大好きなアーティスト夫婦が選んだお気に入りの音楽の

聞きなれなさが、心地よいです。
好きな人達が視界の片隅にいて、私が命を削っている一生懸命な時間。

世界は露出オーバー気味でした。

私はなんでこの瞬間描きたいのか。残す必要があるのか。
何に駆り立てられて、この時間を最も大事な時間にしているのでしょう。
生きていくのはけっこう大変。
自分をさらけ出すのは本当に恥ずかしいし、痛々しい。
なんでこんなことをするのかなぁ。

今回の展覧会で、一枚、本当に自分のためだけに描けた絵があります。
自分でしたことが描かされたと思える瞬間は 与えられたギフト と思います。

本当に自分のためだけに描いた絵が、どこかにいる誰かと共感できたら、と
思います。まだ遭ったことのない、言葉も通じない人と。


612621blog
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612621 言葉で伝えること






























心配すぎてお腹がよじれた、初日のレクチャーを無事(?)終えました。
北大の新しい工学部の施設で開催したので、健築学科の学生さんが多いこと
想定していたのですが、以外と大人の人が多く、最大級の緊張を体験。

喉元すぎると、良い経験をしたと言えますが 自分が話したことを思い出すと青ざめます。
面白かったとおっしゃって下さる方に 胸をなでおろしつつ…でも、反省点は山ほど。
正直に話すしかない、と腹をくくったら、正直が行き過ぎた感が。 早く年齢相応に大人にならねば…。


参加作家メンバーの2大柱の先輩方は、ある作品の説明の際に感極まり。
それは二人の作家が、自分の内的な事と如何に真摯に向き合っているのかを教えてくれて、
私までもらい泣きしそうになりましたが、ここは、我慢…
良いメンバーで展覧会をしているんだなぁ、とつくづく思う瞬間でした。


実は、ワタクシはレクチャーの小一時間前に、会場に足を運んでくれた母に、
いきなり聞き役をお願いして通しで二回、練習しました。
教員なんだから、人前で話すこと位できるだろ、と思われるのですが、
自分のことを話すのって、どうして、こんなに しどろっこもどろっこに…。
レクチャー会場に来てくれていた卒業生の教え子も、きっと、授業中の私との違いに
おどろいただろうなぁ…

成長する機会を与えてくださった、菊池さん、協力してくださった学生さん、
きてくれたみな様、母(上様)、本当にありがとうございます。


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2009年6月3日水曜日

月のご機嫌















月の三分の一の痛み抱えて、女は強くなると思う。
ちょうど10日ほど、私の動きは遅くなります。
頭は回転してても、身体が鈍く後から反応。
心と体が離されたり追いついたりして距離を変えています。


それでも子供は私の周りをいつものスピードで動き回り、
私だけ遅く再生したラジオのようです。低い声。遅い足取り。

身体が重くなると、ここぞとばかりに
精神の方が、私の大部分を占めてやる、と凌駕する。
膨らんだ心は私をのっとり、さらに外まで広がって、
自分の領分を広げていきます。
先にある、手の届きそうなあの木のふもとまで。


足取り遅く、でもじわじわと、沁みていくような、解けていくような感覚。
この一週間は特に。

展覧会までラストスパート。

不自由な身体のぶん、どこまでも先にいってしまう思考で
見渡す世界を感知できたら、と願います。

隣の安藤さんは、猛然と壁にペンキを塗っています。

写真は12個連続で双子だった卵パックのラストの卵。



2009年5月29日金曜日

先住者さんとご対面


展覧会場に鳩が住んでいます。
一番小柄な安藤さんがはしごを最大限に伸ばして
吹き抜けの会場を飛び回るようにペンキと格闘しているので、
作業している時に彼女が換気扇の中にある鳥の巣を発見していた様子。
家主はすずめ?と思っていたのですが、
次のお休みの日に制作している時、ついに換気扇の家主であろう鳩さんと遭遇。
近づいてもぜんぜん、怖がりません。しばし、休憩。共に巣の材料探し。











今日は明日になるまでは作業します。
頑張ります。















2009年5月24日日曜日

ここからみえること 









眼前に仕切りがある。
その狭間をすり抜けていく自由な視線のこと。

すり抜けられないことで
自分の身体の存在を感じること。

視線というの精神のような。
それから。
空洞化した身体ののような
この しきり としか言いようのないもの。
ただ、いつも大事なものとの間にある。



2009年5月20日水曜日

612621 展覧会の告知とお知らせ



前、魅力的な古い家の壁に絵を描いています、とお話していました。
そこで6月半ばに展覧会をします。グループ展です。
敬愛する作家さん達と4人。鋭意準備中!

詳細はブログをご覧下さい。

2009年5月17日日曜日

制作現場と子供達






















さくさくと壁に絵を描いています。

昨日、現美術部の生徒、それから卒業した教え子が制作現場に遊びにきました。

描かれた絵は、これからどうなるの?なくなるかもしれない建物で何かをしようと思うのは何故?

シンプルな疑問に、わかっているつもりでいた私も唸る。
「儀式?」「なくなるからこそ・・・」「マーキング!」という鋭い意見も。

あの場所のどこに価値を見出して、どう活かすか、または、どう残すか、みたいなことは、
マーキング(笑)という言葉で言い表せるかも?

そうすると、あそこは、たくさんの人のマーキング?足跡?だらけです。
取捨選択の中で残されたもの。

明快に答えるためには、しっかり言語化されていないと難しい~。








2009年5月13日水曜日

壁に絵を描いています










週末、古い家を改装したフリースペースの壁に絵を描いています。

会場は知り合いの建築家さんが事務所にしていた東区の古い家。

文房具屋さん、喫茶店、住居と、さまざまな時間を経た「おうち」は
大きな窓や、看板の日焼けた跡が、過ぎた役割を物語っています。

写真は郵便受けからみた外の世界。


蔦の家 と 一輪挿し













後日日記。
朝日カルチャーセンターの絵画教室へ。
以前、ちえりあの絵画教室を受講して下さった方と再会!
あらーっ、とっても上手くなってる…うなりました。
継続こそ力ですね。
カルチャーセンターの下にあるお花屋さんで、母の日にクレマチスの鉢を。
でも私、去年はクレマチスアルバ。一昨年はテッセンをあげていて、
実家の庭がクレマチスの仲間だらけに。うぇぇん、ごめんなさい…
テッセンが良い、と言った母の顔が私に刷り込まれているらしぃ…。
去年のお花は蕾をたくさんつけ、固いままに蔦はどんどんのびていました。
それから一目ぼれした一輪挿し。
駒のように下が不安定なところが可愛らしくて、もう、涙。
母より私が喜んでる?だいじょぶ?



















2009年5月10日日曜日

瑞々しい日々(後半)


 制作三昧のはじまりは、2点の作品に、お手製の箱額を作るところから。
箱額をつくるのは実は8年ぶり。経験があるのに悪戦苦闘…ひぇ~っ。
写真は、とっても優しいパートナーの設計図、悔しいながら正しいって美しい。
美しい設計図にはなすすべもなく従うのみです・・・ 明日の朝までに梱包、発送せねば~。
 発送を済ませた後は、発寒川の近くで、大学の後輩の女性とランチ。
おいしいベーグルサンドをご馳走になりました。
彼女は何度か絵に描かせてもらったことがある女性で 私の好きな世界を引き出してくれる稀有な人。 日常の方が彼女の存在感に絡めとられて違う景色へ変貌します。
彼女と名残惜しく別れ、今度は展覧会の会場へ。会場に滞在しつつ制作を進めています。
参加作家は4人。尊敬すべき、そして、ナチュラルでとても愛しい方々です。







2009年5月9日土曜日

瑞々しい日々 (前半)


 ゴールデンウィークは社会人になった教え子とお酒を飲んで皮切りでした。時折、自分よりも大人びた表情で人生を語る彼らの言葉を聞きながら、 私、教師としては半人前所か、クオーター(?)位なのに、こんな教師冥利に尽きる幸せ、ホントに恵まれているよなぁ、とひとしきり。ほんとうにありがとう。
   
 
 さて、実は、6月半ばから展覧会を予定しているので、GW後半は制作三昧。
その前に、と慌てて行ったのは、秘湯・薬師温泉。ニセコ比羅夫と車を走らせ、 ほそーい林道、農道を抜け、砂利道の谷を登りまた下ると・・・眼下には懐かしい木造の小学校のような建物。
温泉は炭酸水の源泉。少し雪の残る川のほとりにはちらほらとエゾエンゴサク。想い入れのある大好きなお花の一つです。 それから、白に蛍光イエローを混ぜたような鮮烈な発色のフキノトウが宿を囲うようにたくさん生い茂っていました。黒い建物に良く映えます。 宿の近くの池にはたくさんの蛙の卵が産みつけられていました。 季節の変わり目で、少し喘息ぎみだったので、瑞々しい香りをできるかぎり 肺いっぱいに苦しいくらい吸い込んで、あれ、なんかこんな寓話なかったけ… ふと。(前後を忘れてしまったけれど)子蛙の期待に応えてほっぺを膨らましすぎたお母さんカエルのお話?

 そこから少し山側。林に入り小さな橋を渡ると温い沼のような露天風呂がありました。
足場も脱衣所もなく、ただ、そこに「在り」ます。冗談抜きで狐とご一緒してしまいそう! これを体験すると、この源泉が太古から何も変わらず、ずっと沸き続けていたもの なんだと実感します。不思議です。変わるもの、変わらないもの。 温泉って人間が木で囲って箱にする前から、ずっと温泉ですものね。レジャーとか、秘湯とか、そんあ感覚が遠のく瞬間です。
 お宿は非常に心配りの暖かい良いお宿でした。私はフキノトウの天婦羅のほろ苦い美味しさにとりつかれてしまいました。
最初はその色の美しさに心震えた私ですが、今となってはみつけただけで、おなかが鳴るのね。健康だなぁ。
夜は、お昼に道すがらに予約した陶芸工房の体験コースのため、エスキースを練りに練り・・・。
実は、美術部で陶芸に励む生徒との出会ったので、私も良い機会と陶芸修行中。自然と熱が入ります。
ここぞとばかりに、気合いをいれて、頑張りました。粘土を練るって原始的。
一番最後まで、教室で粘って、計3点、仕上げました。できあがりを生徒に自慢します。
それから、オオバナのエンレイソウを虫の視点から描く、ちょっと面白い生徒がいるので、あしもとの花を撮影。
でも、これ、下向きに咲いているので、お目当ての花じゃないかも…。
(瑞々しい日々、後半へ続く・・・)
(続けるのよっ)

2009年4月12日日曜日

ハルカラ日記

部屋の片付けをしていて、小学校3年生の頃の私の日記をみつけた時の衝撃は今も忘れられません。

「なっちゃんが日記をつけていると聞いたので私もつけることにします。三日坊主にならないように、がんばります。」

で、なんと…次のページが白紙!

三日坊主ならず、一日少女。宣言だけとは…一瞬でこれまでの自分の生き方を問いました、とほほ、です。ちなみに、なっちゃんとは、「ありがとう」をとても上手にお友達に言える私の憧れの女の子でした。彼女のように「ありがとう」を恥ずかしがらないで、言えるようになりたい!のが当時の私の気持ちでした。きっと日記を書きたかったわけじゃなかったのでしょうね、
20年前のあさみさん。とかいって、
そんな私が、またも日記をつけます。毎日続けるのは無理なんです。書き留めておきたい、心が揺さぶられるような出来事があった時や自分へのメモをしたい時に。少々遠くに離れた友人達への近況報告として。

果たして、次のページに綴られるのはいつ?